生き地獄からの解放
2018年のはじめ。81歳の母親がステージⅣの大腸がんで余命3カ月だと知った娘の二藤瑞子さん(仮名・50代・既婚)は大きなショックを受けた。
「私としては母のそばにいてあげたいと思いましたが、実家には父(当時87歳)もいますし、通うには片道4時間ほどかかります。母に希望を聞くと、『あの人のところには帰りたくない』と言ったので、私は母方の叔父に相談し、叔父の家に住まわせてもらうことにしました」
二藤さんは職場(看護師)には、介護休業、介護休暇をMAXまで申請。洋服直しをしている会社の経営者兼職人の夫(50代)には、相談というより決定として話をして、荷支度をした。
「2人の子どもたちはもう大きいとはいえ、末娘はまだ高校生です。部活で夜遅くなった日の送迎などは夫にお願いしました。夫とは会話はあるけれど、『ありがとう。おかえり。気をつけて。楽しんでこいよ』などの温かみのある言葉掛けはしてくれない人でした。結婚後、しばらくは私だけでも言葉掛けを続けていたのですが、一方通行は虚しくなり、いつの間にか私もしなくなりました。でも、この時ばかりは私や母のことを気遣ってくれるとか、『しっかり看てきてあげな。こっちのことは心配ないから!』などの言葉を期待してしまいましたが、『行かせてくれるだけマシか』と気持ちを切り替えて母の元へ向かいました」
一方、父親は母親からがんだと聞くと、
「だから俺は早く病院に行けと言ってたのに!」
と怒り出した。
「母は何度も痛いと言ってたのに家事も畑も手伝ってあげず、命令だけしておいて、何、自分を正当化しているんだろう! と、腹が立ちました」
当初は父親も一緒に叔父の家に滞在していたが、全員が母親中心に動いている状況が面白くなかったのか、2週間後には荷物をまとめて1人で帰ってしまった。
気づけば母親は、闘病生活が始まると、がんの痛みや抗がん剤の副作用でつらいにもかかわらず、笑っている時間が増えていた。
「母自身、もう3カ月もたないと知っていましたが、親戚のみんなと一緒にお茶とお菓子でおしゃべりしたり、病院では主治医の先生や看護師さん、掃除のおばさんとお話ししては、大笑いしていました。『お母さんね、病気してこんな楽しい時間過ごすことができて、今、いちばん安心だし幸せ!』と言っていました。あの生き地獄から解放されたからだと思います」