もともとは天才少年

兵学では驚くほどの才能を見せました。明倫館で山鹿流兵学についてはじめて講義したのは、わずか数え9歳のときで、それ以降は毎年、明倫館で教えるようになりました。また、数え11歳のとき、藩主の毛利敬親の前で『武教全書』を講義し、15歳のときもふたたび講義し、ともに激賞されています。

さて、松陰はどんなことを教えたのでしょうか。松陰を祀る松陰神社(現存する松下村塾はその境内にある)が選んだ「吉田松陰語録」をいくつか見てみましょう(現代誤訳もそこから拝借します)。

「天下に機あり、務あり。機を知らざれば務を知ること能わず。時務を知らざるは俊傑に非ず」(この世の中に生じるできごとに対処するには適切な機会があり、それに応じた務めがある。適切な機会がわからなければ、時局に応じた務めも知ることが出来ない。それぞれの場に応じてなすべき仕事できないようでは、才徳のすぐれた人とはいえないのである)

つまり、ここぞという機会を逃すようではすぐれた人物ではない、と断じています。

「罪は事にあり人にあらず、一事の罪何ぞ遽に全人の用を廃することを得んや」(罪は、人が起こした事件によって生じるもので、罪を犯した人が悔い改めることによって消滅する。従って、ひとつの事件の罪で、その人を否定しつづけるようなことがあってはならない)

囚人を更生させるために書かれた『福堂策上』のなかの言葉で、よほどの罪を犯したとしても、本人が悔い改めさえすれば、罪は起こした事件とともに葬り去ることができる、というのです。

目的達成のためには死をためらってはいけない

もう少し「松陰語録」を紹介します。

「死は好むべきにも非ず、亦悪むべきものにも非ず、道尽き心安んずる。便ち是れ死所」(死はむやみに求めたり避けたりするものではない。人間として恥ずかしくない生き方をすれば、まどわされることなくいつでも死を受け入れることができる)


「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」(死ぬことによって志が達成できるならば、いつ死んでも良い。生きていることで大業の見込みがあれば、生きて成しとげれば良い)

これら2つはともに、松陰が数え30歳のとき、高杉晋作に宛てた手紙に記した言葉で、志を成し遂げるためには、躊躇せずに死を選ぶべきだと説いています。

長州奇兵隊の隊士(一部)
長州奇兵隊の隊士(一部)(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

さて、いま挙げた4つの語録を総合すると、松陰は教え子になにを求めていたかがよくわかります。4つは以下のようにつなげることができます。

チャンスは逃す人間ではダメです。たとえチャンスをとらえた結果として罪を犯すことになっても、罪は本人が悔い改めれば消滅します。だから、志を達成するためには、死をも躊躇すべきではありません――。

松陰自身の行動と、松陰の教え子たちのその後の行動をたどると、松陰はもちろん、教え子たちも、これらの語録に忠実だったことがよくわかります。