「個人的な問題は社会的な問題」
――「御上先生」でもナプキンを盗んだ女子が「隣徳学院の名を汚した」として理事長判断で退学を宣告されました。しかし、クラスの同級生たちが「生理の貧困」は社会問題であると訴え、退学処分撤回のための署名活動などをしました。
【工藤】日本の学校では、生徒たちが主体的に社会問題について声を上げることは珍しいことですが、欧米の学校では、日常的に見られる光景だそうです。子どもたちが幼い頃から子どもたちが「自分の意見を持つこと」が求められているからです。
――ドラマでは生理用品を買えないという「生理の貧困」について、女子生徒だけでなく、男子も深刻に考えている姿が印象的でした。
【工藤】ドラマでは「ザ・パーソナル・イズ・ポリティカル」という考え方が示されています。「社会を良くするためにどうする?」という問いを投げかける御上先生の姿勢は、これまでの学園ドラマにはなかった重要な問題提起です。
「御上先生」のように子どもたちが自分で動くクラスは作れる
――生理というかなりセンシティブな問題についても討論する。そんな男子は現実的にはなかなかいないと思いますが、やはり、そういう意識の高さ、当事者意識はドラマならではの設定でしょうか。
【工藤】今までの通常の日本の教育を受けている生徒たちが、すぐに主体的に発言できるようなるのは難しいと思います。しかし、適切な支援・指導の下で学ぶことさえできれば、子どもたちは確実に変わることができます。事実、御上先生のような教師は日本中にたくさんいますし、そうした先生の下ではあのドラマのような子どもたちの姿を見ることができます。
こうしたことに詳しい専門家によれば、たとえ管理的な教育を受け続け、主体性を失ってしまった子どもたちでも、小学校1年生なら約1カ月、中学1年生では約1年、高校1年生なら約3年もあれば、自分で考え行動することができる姿が戻ってくると言われています。