無断で映されたのは加害側でなく、伊藤氏の協力者や支援者
だから一般的には首を傾げるような手法を使っていても、優れた作品と見なされてきたドキュメンタリー映画は多い。しかし『Black Box Diaries』が独特なのは、無断撮影や無断録音の対象が前述の作品に見られるような加害者側や権力側ではなく、伊藤氏の協力者や支援者側だったことだ。
例えばその中には、タクシー運転手、ドアマン、刑事、メディアで働く女性が集まった会合の参加者、そして代理人弁護士の一人だった西廣陽子氏の映像や音声が含まれる。タクシー運転手は伊藤氏と山口氏をホテルまで乗せた時のこと、ドアマンはホテルの入り口でそのタクシーを迎えた時のこと、そして西廣氏はドアマンの証言を裁判でどう扱うかについて、それぞれ伊藤氏に話すところなどが使われている。彼らは伊藤氏に敵対しておらず、協力関係にある。

元弁護士「伊藤さんの意向を拒否したように描かれた」
中でもドアマンは「会社から言われても証言しようと思うし、自分の名前を出してもいい」とまで話している。ただ、この会話自体が録音されていること、自分の言葉が全世界に公開されることは承諾していたのだろうか。他の出演者についても同じことが言える。もしかしたら、「映画を見て初めて、伊藤氏と自分の会話が何年も前から無断で録音されていたと知った」と会見で語った西廣弁護士と同じ状況に置かれているかもしれない。これは個人が特定されないよう、顔の部分をカットしたり、姿形にぼかしを入れたり、ボイスチェンジャーを使って声を加工したりするのとは、また別の話だ。
映画が日本では未公開であることもあり、無断使用にショックを受けたと公に言っている出演者は多くない。メディアで働く女性たちの会合のシーンで、自分が画面に映り込んでいるのを削除してほしいという要請があったと報じられているが、会合で性被害経験を話した女性の許諾は取られていた。しかし、抗議の声が聞かれないから問題はない、というわけではないだろう。職場での立場上、声を上げにくかったり、騒動の渦中に入るのを避けるため、やむなく沈黙している場合も考えられるからだ。
『Black Box Diaries』のもう一つの特徴は、未許諾のものを含むそうした映像や音声が時々、一定の方向で切り取られていることにある。西廣氏は、ドアマンの証言を裁判で役立てたいという伊藤氏の意向に沿って自分は動いていたのに、映画の中ではそれを拒否したかのような発言が使われ、伊藤氏が孤立を深めていくストーリーにされていた、と指摘し「心がズタズタにされた」と話している。代理人弁護士として8年半懸命に働いてきたのに、こうした取り上げ方をされるのはアンフェアではないかということだ。伊藤氏は声明で西廣氏に謝罪しているが、この映画のメッセージを届けるために、ある方向に映像をまとめていたということなのだろう。