医療で必要なのは患者に対する「共感力」と「痛みを理解する感性」

【武中】鳥取県は公立王国。親はどうしても東大などに卒業生を輩出している公立高校に行かせたいという傾向がある。公立中学、高校に通わせれば学費も安い。

今でこそ探究を掲げたこの学校は一定の認知度がありますが、初年度は学生を集めるのが大変ではなかったですか?

【織⽥澤】最初はみんなよく分かっていなかったんじゃないですか(笑い)。我々の掲げる理想に共鳴した親御さん、生徒もいらっしゃったと思いますが、それよりも新しい学校ができるという期待があった気がします。

我々もまだ未熟で、最初の6年間は、生徒と一緒にカリキュラムを作っていったような感じでした。

【武中】単に知識を詰め込んだ人間を量産してもこれからは役に立たない、という時代のニーズを先行したわけですね。我々、鳥取大学も同じような学生を求めています。

とはいえ、保護者としては大学合格という結果も欲しい。特に地方では、国立大学医学部合格者を出すことが、1つの指標となっています。そうした風潮についてどのようにお考えですか?

【織⽥澤】受験競争の頂点に国立大学医学部医学科があって、勉強ができるからそこを目指すというのは違うと思います。自分が何に興味があるのか、どういう学問を追求したいかというのは高校生の時点であるはず。偏差値で上にいるから、医学部を目指すというのはおかしい。

一方、こんなふうにも思うんです。偏差値が高いというのは、情報を効率よく処理できる能力があるということです。医師として患者を診る際、過去の症例を頭に浮かべて、診断を下し、治療法を考えることは、得意かもしれない。

【武中】そういう能力はいずれ必要なくなると思います。症状をAIに入力したら、診断がポンポンと出てくる。そこから選べばいい。今後の医療で必要なのは、患者さんに対する共感力、痛みを理解する感性が必要になってきます。

青翔開智中学校・高等学校の図書館
撮影=七咲友梨

医学部医学科の受験生に、高い偏差値を求める意味はあるか

【織⽥澤】ぼくの知り合いから、海外の大学の医学部の入試の話を聞いたことがあります。試験会場に入ったら、子どもが泣いている、その子どもをどうやって泣き止ませて椅子に座らせるか。

あるいは、子どもが、がんになってしまったとき、医師としてご両親にどのように告知するのか。それが試験だったと聞いたことがあります。

【武中】非常にいい試験だと思います。ただ、日本の場合は医学部医学科に進学しても臨床の医師になるとは限らない。研究者になる人も何パーセントかいます。だからそうした思い切った試験はできない。ただ、(患者に向き合う)臨床の医師にはまさにそうした力が必要です。

【織⽥澤】そもそもの質問になっちゃうんですが、医学部医学科に行くのに、あんなに偏差値が高い必要はありますか?

【武中】(腕組みして)ぶっちゃけた話をすると、そこまで偏差値が高い必要はないと思います。医学科は、いわゆる「理系」に分類されますが、理学部や工学部と比べたら、最も「文系」に近い部分が要求される。

【織⽥澤】ぼくもそう思うんです。(工学部の)建築科に近いですよね。

【武中】そうです。現場では答えのない問題を解決しなければならない。技術や知識だけでは解決できない、閃きの部分があります。また、特に(手術を行う)外科医は肉体労働でもある。もちろん科学者でもあるので、最低限の学力は必要。

ただ、それだけでできると思って入ってこられると困ったことになる。臨床においてはコミュニケーション能力が不可欠。少なくない学生が、いわゆるお勉強はできるけれど、コミュニケーションを苦手としている。

【織⽥澤】なんとなく理解できます(苦笑い)。

【武中】人格が確立した18歳で大学に入ってから、その感性を磨けというのはなかなか難しい。この学校のいいところは、中学生という早い時期から、知識を詰め込むのではなく、自分の興味がある部分を探究すること。それは医師になったときに必ず役に立つはずです。