作家たちのあれこれを採点するゴシップ記事
もう1つの発明は、「ゴシップ記事」です。
いまでは『週刊文春』が著名人のスキャンダルやスクープをとり上げ、“文春砲”などと呼ばれていますが、「ゴシップ記事」を流行させたのは菊池なのです。
『文藝春秋』で最初に扱ったのは、作家のゴシップ記事でした。刊行の翌年、大正13(1924)年2月号で、「文壇諸家価値調査票」という企画を掲載したのです。
学校の成績表のように、文壇の作家たちのあれこれを採点するという“皮肉を込めたゴシップ記事”です。
芥川龍之介、有島生馬、泉鏡花……と作家を並べ、「学殖(学問の素養)」「天分(天から与えられた才能)」「修養(養い蓄えている教養)」「度胸」「風采(容姿・態度など見かけ上の様子)」「人気」「資産」「腕力」「性欲」「好きな女」「未来」と11項目にわたり、独断と偏見を交えたような採点を掲載しています。
「大正十三年十月末現在」と正確性を期すような但し書きがある半面、「例により誤植多かるべし」と自虐的なエクスキューズも交えており、ユーモアたっぷりで笑いを誘います。
また、点数の目安として、「六十点以上及第」「六十点以下五十点までを仮及第」「八十点以上優等」としています。
たとえば、芥川龍之介は「学殖 九六」「天分 九六」「修養 九八」「度胸六二」「風采 九〇」「人気 八〇」「資産 骨とう」「腕力 〇」「性欲 二〇」「好きな女 何んでも」「未来 九七」とあります。総じて高得点のなか、「腕力0点」「好きな女 何んでも」と、ひどい言われようです。
このころの作家たちは、いまでいう「インフルエンサー」的な立場にあったこともあり、一般大衆からの注目度も高かったので、この企画は大きな反響を得ました。
総勢68人をやり玉に挙げた“文春砲”
インターネットがない当時、一大メディアである雑誌に名を連ねる小説家たちの影響力は、いまでは考えられないほど大きなものでした。
そんな時代に川端康成や谷崎潤一郎、南部修太郎など、大物から無名に近い書き手まで、総勢68人をとり上げて“文春砲”を放ちました。
『文藝春秋』の創刊から参加していた作家の横光利一は、一方的にあれこれ書かれて激怒し、菊池と「絶交する」とまで言い出したそうですが、親友の川端康成に「まあまあ」となだめられたそうです。
ちなみに横光利一の評価は「学殖 七五」「天分 六〇」「修養 八九」「度胸 九〇」「風采五二」「人気 七三」「資産 菊地寛」「腕力 六二」「性欲 六九」「好きな女 娘」「未来 六六」とあります。
菊池は売れない小説家にもお金を貸したり、仕事を与えたりと、公私ともに世話を焼きました。結局、菊池に多大な恩がある作家たちは、こういうことを好き勝手に書かれても、あまり文句を言えなかったようです。