「弟は死んでもいい」その言葉に張り詰めていた糸が切れた

それはどんな事件だったのか――。

「ある時、見知らぬ名前の男から手紙が来たんです。3回目の結婚をして姓も変わっていたので気づかなかったのですが、父親からでした。そこには『子どもの相続意思の確認がしたく』と書いてあって。相続の意思などないと怒りの気持ちが湧き上がり、父親に電話したんです。そしたら『俺1回心臓が止まったんよ。だから手術した。俺の家は広いから旦那と子どもを置いて帰ってこい』と。どうやら私に自分の介護をしてほしいらしいんです」

そこで、たえさんは、弟が29歳の時に自死したことを父に告げた。音信不通だったため、父は弟の自死を知らなかったからだ。

「するとこともなげに『正寛(弟の名)君が死んだのは構わない。でもたえちゃんが死ぬのは嫌だよ』と言い放ちました。その言葉で、私の中で張り詰めていた糸がぷつんと切れたんです」

たえさんと弟は運命共同体のようなもの。いつもきょうだい一緒に虐待を受け、それを乗り越え、それぞれ結婚。やっと幸せをつかんだかのようにみえた。しかし、たえさんの夫と姑はすべての事情を受け止めて彼女を慈しんでくれたが、弟はそうではなかったらしい。妻にも誰にも虐待の事実を告げることができず、精神を病んだ挙句に自死を選んだ。その時、弟は実母と一緒にいたはずだが、母はパチンコに出かけていて、弟の自殺を止められなかった。

父親から突然送られてきた手紙
写真提供=塚原たえさん(一部編集部加工)
父親から突然送られてきた手紙

たえさんもまた、現在、複雑性PTSD(心の傷を繰り返し持続的に受けた結果、発症するPTSD)に苦しむ。パニック障害で電車に乗れない、悪夢にうなされる、父に風呂に沈められたことがトラウマになり風呂に入れない、無気力になり一日中体が動かないなどといった症状に襲われている。もちろん、原因は度重なる性加害だ。

「被害者である弟が自ら命を断ち、私がPTSDに苦しめられているのに、なぜ加害者は罪の意識を持たずに、のうのうと生きていられるの? こんな理不尽なことはありません。絶対に父親を許すことはできないと思い立ち、Xで実名で告発したのです。レイプをそばで笑って見ていた母には『恥さらし』と罵られましたが」

Xの投稿から火がついていくつかのメディアにたえさんのインタビューが掲載された。きょうだいが受けた恐ろしい性被害の記事は大きな反響を呼ぶ。その後、たえさんの叔母である女優の藤田三保子さんも、兄(たえさんの父)から性加害を受けそうになったこと、たえさんと弟を兄から引き離そうとしたが失敗したことを告発した。

小学校の卒業式。両親ともに式に来なかったが、写真だけ父に撮られた。「そのまま動くな! 三保子に似てるから」と言われながら……
写真提供=塚原たえさん
小学校の卒業式。両親ともに式に来なかったが、写真だけ父に撮られた。「そのまま動くな! 三保子に似てるから」と言われながら……

「気持ちいいことをしてくれた親に感謝しろ」に体が震えた

しかし、虐待を生き抜いたたえさんを応援する人がたくさんいる一方、SNSには心無いコメントが書かれ、“セカンドレイプ”=二次被害を受けることに。

「気持ちいいことをしてもらったのだから、親に感謝しろ」と書かれた時には、体が震えたそうだ。当然ながら、気持ちいいなどと思ったことは一度もないし、気持ち悪さと痛みで、毎回拷問の連続でしかなかった。

また、たえさんは7人の子どもに恵まれているが、子沢山であることで「お前の夫は多産DVだ!」とか、「子どもがいるのだから過去のことは忘れろ」とか、「被害者なら被害者らしくシオらしくしろ」といったコメントにも深く傷ついた。

「子どもをたくさん欲しがったのは私のほうです。決して夫が妊娠を強要したわけではありません。それに7人の子どもたち全員が愛おしくてたまらない存在です。私が母の立場ならば、父親を殺します。時間が経つに連れ、怒りが増幅しているので、忘れることなんて絶対にできませんよ」