もしも道鏡が天皇になっていたならば
孝謙・称徳天皇には、独自の天皇に対する考えが形作られていた。中国の場合、もっとも重要なのは皇帝が徳によって政治を行うことであり、その徳が失われたときには、新たな皇帝に交替しなければならないという「易姓革命」の考え方があった。孝謙・称徳天皇はこうした発想に近いものをもっていたのかもしれない。
しかし、和気清麻呂がもたらした八幡神の託宣は、孝謙・称徳天皇の構想を真っ向から否定するものだった。仏とともに神を信仰する彼女は、その託宣を素直に受け入れ、道鏡を皇位につかせることをあきらめた。彼女の前には、厚い壁が待ち受けていたのである。
しかも、すでに述べたように、彼女の存在は、あるいは道鏡との関係はスキャンダルに満ち溢れたものとして描かれるようになり、独自の王権論は顧みられなくなっていった。
もし、道鏡が天皇の位につき、その後も、皇統にかかわらず、仏教を深く信仰する天皇が続いたとしたら、日本の社会のあり方は根本的に異なるものとなっていたことだろう。その伝統が続くことは相当に難しいものだったに違いないが、武士の台頭や戦乱の世の訪れはなかったかもしれない。
女性天皇や女系天皇の問題、あるいは天皇そのものについての問題にしても、血統というところにこだわらず、もっと広い視野から検討し、その意義を改めて問い直す必要があるのではないだろうか。少なくとも男尊女卑の考え方を払拭することは不可欠なのである。
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。