一番知られていない将軍だが、聡明な人物だった家治
フジテレビでドラマ「大奥」が放送されています。主人公は小芝風花さん演じる五十宮倫子。倫子は、閑院宮直仁親王の第6王女として生まれながら、徳川幕府10代将軍・徳川家治に正室として嫁いだ女性です。倫子の夫・家治を演じるのは、亀梨和也さん。
家治は、歴代徳川将軍のなかでも、一般では「地味」な存在ではあるでしょう。家康(初代)や家光(3代将軍)、家治の祖父・吉宗(8代将軍)の名はよく知られていますが、「家治」と聞いても「誰だっけ?」という人が大半だと思います。今回のドラマで家治がクローズアップされることは、知られざる人物に光を当てることであり、とても良いことだと感じます。
さて、家治は「長じては凡庸となり、老中たちの政治、とくに後半は田沼意次の政治に埋没していた」「27年間の治世は、側用人田沼意次が実権をにぎり」などと評されることがあります(『日本大百科全書』『世界大百科事典』)。しかし、家治は聡明な人物だったと筆者は感じています。
名君・吉宗は孫の家治を常に膝の上で抱いていた
まず、家治は後に9代将軍となる徳川家重の子として、1737年に生を受けました。家治は幼少期には、江戸城西の丸に居住していたのですが、『徳川実紀』(徳川幕府が編纂した徳川家の歴史書)には、家治はその頃から「御温和にして、慈愛の御志ふかく」(温和な性格で、思いやりの心が深かった)との性格だったようです。よって、祖父の徳川吉宗は、複数いた孫の中でも、とりわけこの家治をかわいがったのでした。吉宗は幼い家治を常に膝の上で抱いていたといいますので、溺愛ぶりがわかるというものです。
吉宗は家治をただ膝の上に置いてかわいがっただけではなく、この孫がいずれ将軍となることを見据えて、リーダー(指導者)の心持ちなどを教えたといいます。家治が10歳にも満たない頃だったようですが、このときにも、家治は吉宗の膝の上におりました。そんな時、吉宗は唐紙を取り出して「これに字を書いてみよ」と勧めます。
すぐに筆硯が用意されました。家治は紙に「大」の一字を大きく書こうとしたのですが、紙が小さく足りないと周りには見えたようです。さぁ、若君はどうするのだろうと、周りにいた人々は見守っていたのですが、家治は躊躇することなく、紙をはみ出し、畳の上に文字を書いたとのこと。その後、筆を捨て置いたようです。
その様子を見て、吉宗は家治の「快活」さを喜び、「天下を治める者の挙動、このようでなければならぬ」と頭をかきなでたのでした。この話は、長じて後、家治が周りの者に常に語っていたといいます。