「カズオ、次は何をするんだ?」仲間からの問いかけで起業決意
私は1946年の生まれです。貧しかった戦後から高度成長を経て日本経済が興隆していく時期に成長しました。社会の矛盾に突き当たることも多く、大学の自治であるとか、合理的な組織運営のために声を上げたりすることもしばしばでした。要するに改革志向が強く、そのことが今に至る原動力になっていると思います。
京都大学の学生時代は、大学当局とぶつかったりする一方で、バンド活動にも熱中しました。京大生を100人ほど集めてバンド集団をつくり、地方公演を企画するなど、マネジメントにも力を入れたのです。この頃の経験は、その後の起業にも役立っています。
卒業後は三共株式会社(現・第一三共株式会社)へ就職します。大学に残って学者になるよりも、ビジネスの方が自分には向いているという確信があったからです。
会社では比較的自由にさせてもらえて、早くから学会参加などで海外出張にも出ていました。中でもアメリカのバイオベンチャーの人たちとの付き合いは刺激的でした。日本の研究所は塀に囲まれて管理上のルールも多いのに対して、向こうの研究所は塀もなくIDカードで出入りして、研究室でカメを飼っていたりパーティーをしたり……。あまりの違いにがくぜんとしたものです。アメリカの研究者が創造的なのは、彼らが自由で個を大切にしているからだとこの時強く感じました。
その後、高脂血症治療薬の「メバロチン」の開発担当者として、画期的新薬を世に送り出すことに成功しました。となると「ある程度の地位が約束された」と考えるのが日本企業の常識です。ところが海外で知り合った仲間たちは、口々に「カズオ、次は何をするんだ?」と聞いてくるのです。彼らには一つ成功したからそれで終わりという発想はありません。皆、また何かをゼロから始めることが当然と考えるのでした。
そのような考えに刺激を受けて92年、医薬品開発支援の会社を立ち上げたのです。ただ、勇み立って独立したものの、最初はマンションの1室でたった3人のスタートです。元いた会社が仕事をくれるだろうと期待しましたが、そう甘くはありません。
結局、独立後最初に大きな仕事を任せてくれたのは、アメリカのバイオベンチャーだったのです。狭い事務所へやって来て「一緒にやろう」と大きなプロジェクトを任せてくれました。
このような経験があるからこそ、私は常に「国際的な視点で日本を見ろ」と言うのです。医薬品は外資系の存在感も大きく国際化の進んだ珍しい業界です。だからこそ、常に国際的な視点で見る必要があると考えています。
今、医薬品開発においても国際競争の真っただ中で、企業を構成する従業員たちがいかにそれぞれの価値、つまり「パーソナル・ビジネス・バリュー」を上げていくかが重要な課題になっています。一人一人が、いわば「ビジネスアスリート」として自らを律し、変化に対応し、絶えず挑戦し続けていかなければならないのです。
日本の人口構造を考えると、今後は年齢に関係なく働き続けることが必須の社会になります。その時に重要なことは「生きがいを軸として働く」ということ。生きがいには「社会との関わり」「好きなこと」「得意なこと」「お金などのインセンティブ」の四つの要素があります。生きがいは日本発の言葉ですが、健康長寿との関わりなどが知られるにつれて、今や「IKIGAI」として海外から逆輸入されるようになりました。
生きがいを持って生涯働くことが求められる一方で、ベテランは若手に譲るべきところは譲り、次の世代へつなげていくことも重要です。次の世代へ継承していくという意味も込めて、山梨県北杜市小淵沢に、ヘルスケアに関わる人材育成と国際交流を目指す研修施設「Yuzuriha(ゆずりは)」をオープンしました。
小淵沢に場所を決めたのは、私自身が山梨県出身であることに加え、災害時の拠点にふさわしいこと、海外からの客人をもてなすのに最適だったことなどです。この辺りは周囲を3000メートル級の山々に囲まれた盆地で自然災害が少ないため、本社機能を持たせれば災害時のバックアップになります。海外の要人を招くにしても、都心のオフィスよりも乗馬やゴルフを楽しみながら交流を深めることで、より本質的な話し合いができるはずです。
私自身、既存の考えや価値観にとらわれない柔軟な発想を心掛けてきました。その土台になっているのは常に「遊び心」です。例えば京都ならばお茶屋遊び、王朝時代であれば船上で月を愛でるなど、日本人は遊びを通して文化と教養を磨いてきました。遊びはクリエーティビティを養うのに極めて重要です。Yuzurihaは、そうした拠点にもなればいいと願っています。
コロナ禍を経て、ヘルスケア領域は大きく変わりました。地域の健康を支えるために、今後は自治体との連携もさらに必要になります。今は自治体が健康上のテーマに取り組もうとしても、専門家は少なくDXも進んでいません。私たちはDXを活用しながら自治体と伴走し、住民がより生きがいを持って健康で過ごせる地域づくり、産業づくりに取り組みたいと考えています。
また、ワクチン開発などでは、最先端の技術に日本が追いついていない現状が浮き彫りになりました。このままでは、日本には最先端のものが入ってこなくなる可能性があります。だからこそ私たちは、支援ビジネスの中で最先端技術についてもサポートすることが求められているのです。
将来的には、医薬品開発におけるアジアモデルの創出も視野に入れています。日本をアジアの一員として考え、日本モデルだけではなくアジアモデルを創出しながら、それを世界に発信していきたいというのが私の夢です。そのときに気になるのが、さまざまな規制。新たな価値を創出するに当たって規制がブレーキになるのであれば、関係当局へ提言していくことも、CRO業界のパイオニアとしての私たちの使命なのだと考えています。