誰でも起こり得る問題を「すべてカバーする」公的保険
すでに、小泉進次郎氏などが5年も前から「こども保険」構想を打ち上げ、一時は軌道に乗りかけたのですが、従来の年金制度がこの領域までカバーすることになり、構想は中途半端な制度に留まっています。
現状では、厚生年金保険料の企業負担分に標準報酬の「0.34%」が加算されて徴収され、それが子ども・子育て政策の財源となっています。この仕組みは、以下のような不思議な点があります。
② 従業員側からは徴収されない。
③ 国民年金加入者からは徴収されない。
なぜ「こども保険」ではなく、厚生年金に留まり、それは企業負担分だけであり、しかも税金扱いなのか。それには以下のような理由がありました。
① 「保険」とは加入者の誰にでも起こり得るリスクを分散する仕組みを言う。こども保険は、育児家庭だけが受益者となるため、保険とは言えない。
② こうした中で、就労者に広く負担する仕組みを作れば「なぜ、子どもがいないのに負担せねばならないのか」という批判が渦巻く。
これら批判には反論も可能なのですが、それよりもご高説はそのまま受け取り、文句を言われないように制度を改変してしまえ! というのが私の思うところとなります。
それは、保険として機能させるために、給付のカバー範囲を大きくすること。
・不妊関連の給付
・出会い/婚活関連の給付
・おひとりさま関連の給付
こうすることで、「誰にでも起こり得るリスク」となり、①②はスルーできる。当然、子ども関連だけでなくなるので、「こども・未来保険」と改称することが必要となります。
古い常識を壊せるのが「公的保険制度」
なぜ、こんな公的保険が重要なのか。それは何も財務省におもねっているわけではありません。
公的保険に拠出することになると、二つの意味で、加入者の活用が進むからです。
・払ったからには使わなきゃ損、という気になる。
過去にも同様の事例がありました。それが、介護保険です。
以下は『何を怖れる』(松井久子監督)というドキュメンタリー映画の中で、東京家政大学名誉教授の樋口恵子さんがおっしゃっていた話です。
介護保険導入前は、介護とは「嫁」がやるのが常識であり、お金を払って他人様を自宅に迎え入れやってもらうことはありえなかったそうです。しかもそうした歪な女性負担に対して、各地の行政は、「介護嫁表彰」制度などを設け、そこから逃れられなくしていました。この誤った常識を壊したのが、介護保険制度だったそうです。
2014年12月の日経ビジネスオンラインで私と対談した上野千鶴子さんは、当時の様子を以下のように語られています。
「介護保険ができた当初は、この辺じゃ介護保険を使う人なんかいねえよと田舎の人は言っていたんだから。それで介護ステーションのワゴン車、うちの前に止まってくれるなと言っていた。うちに他人を入れないと言っていたじいちゃん、ばあちゃんもいた。でも、あっという間に意識が変わりましたね。あれよあれよという間に」
「意識が先か、制度が先かといったら、みんな意識が変わらなきゃというんだけど、そんなことないですよ。どっちも大事です」
そう、公的保険制度が意識、ひいては社会まで変えた先例でしょう。