「出会いの年齢」は変わらないのに晩婚化したワケ
さて、いよいよ本丸の晩婚・未婚化の原因探求に移ります。
それを探るカギとして、初婚年齢と、出会った年齢、交際期間それぞれの平均値をプロットしたのが、図表1です。
女性の場合、結婚年齢は上がり続けていますが、出会いの年齢は、1997年までは、一貫して22歳代でした。
結婚相手との出会いは決して遅れていなかった。とすると、その間の晩婚化は、交際期間の長期化により起きていたことになります。この「交際期間が長期化」の理由が、「見合い結婚の減少」と「恋愛結婚の増加」なのです(図表2)。
結婚前提にお膳立てされた見合いの場合、ゴールインまでの交際期間は短くなるでしょうが、恋愛結婚はその限りではありません。戦後、見合い結婚は減り続け、逆に恋愛結婚は増え続けました。そのことが、出会い年齢は変わらないのに、交際期間が延び、晩婚化が生じた当初の理由といえるでしょう。
ただ、恋愛結婚比率も1990年には8割を超え、逆に見合いはこの頃には2割にも満たなくなります。このあたりからは、この二つのファクターでは晩婚化を説明しえなくなっています。
90年台後半以降は女性の大学進学率上昇が晩婚化を生んだ
代わって晩婚理由となったのが、女性の高学歴化でした。これはひとえに、女性の四年制大学進学率の上昇によるものです。
従来、女性は短卒・専門卒が最終学歴のボリュームゾーンとなっていました。それが、バブル崩壊後、90年代の長期不況より、大幅に一般職(事務職)新卒採用が絞られていくことになります。ここで、短大→一般職採用というライフコースが崩れ、代わって男性同様に四年制大学への進学率が高まっていくのは、既述の通りです(「『男女平等にはあと286年かかる』は大間違い…“日本は全然変わらない”と嘆く人が見落としていること」)。
そうして、96年に短大と四大の進学率が逆転し、これ以降、女性の大学進学率は右肩上がりで上昇し続けていきます(図表3)。
生涯の伴侶を見つけるのは、やはり修学中ではなく、社会に出てからとなる人が、多いでしょう。そこで、四年制大学進学者が増えれば、就学期間が延びるために、結婚相手との出会い年齢も上昇を見せていきます。これが1990年後半以降の晩婚化の一因となるでしょう。