フェミニズム的な考えに興味はなかった

時々、私より少し下の世代の女性から、

「ハヤシさんが、私たちが進む道を切り開いてくれました」

と感謝されることがあり、とても恐縮してしまうことがあります。最近になって大学でフェミニズムを学んだ友人からも、

「二年間フェミニズムをやると、あなたの名前が必ず出てくる」

と教えてもらいました。

実は私自身、そうしたことにまったく意識が高い方ではありません。「あまり触らないようにしている」と言った方がいいかもしれない。「女流作家」という言葉にしても華やかな感じがして好きなのですが、今の時代はそう言うと怒られそうだから「女性作家」と言うようにしていたり……。

もともと私には「男が」「女が」という意識が希薄でした。たとえば私の世代だと就職の時にはじめて女性差別を感じた人が多かったと思います。しかし私の場合、自分が就職出来なかったのは単に能力がないせいだと思って、女性差別という問題意識にはつながりませんでした。女の中で適当にやって、その中でちょっと目立てばいいやぐらいに考えていましたし、男、女と目くじらを立てるよりも、女であることを楽しみたかった。勉強も嫌いだったので、フェミニズム的な考えにまったく興味が向かなかったのです。

拳を振り上げる
写真=iStock.com/Adrian Vidal
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敵か味方かわからないと嫌われる

ところが、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で世に私が出てきた時、男性たちからの叩かれ方は異常といっていいほど激烈なものでした。どうしてここまで憎まれるんだろうと理解できなかったのですが、ある時、筑紫哲也さんにこんなことを言われました。

「『あんたたち何よ!』と男性にわかりやすく歯向かってくる女性のことを、実は男性は嫌いではない。ハヤシさんは捉えどころがないから、嫌われるんじゃないの」

男性と戦おうとするわけでもなく、ムキになるわけでもなく、普通にヘラヘラと接してくるし、敵か味方かワケがわからないから嫌われる、というのです。

理由はともかく、あの時代に男性から異常に嫌われていたことは、私がフェミニズム的にも戦ってきたという印象に一役買っているのかもしれません。