あいまいな表現で言い訳しても信頼関係は損なわれる
「若干」の例も、具体的な注文を受けたときに、その個数や販売価格などを考慮して、売り手側の事情に応じて「ある」とも「ない」とも言える、あとで言い訳が利く賢い表現ではありますが、そのツケが読み手に及ぶことには少なくとも自覚が必要です。
「多少」というのは、「多い」と「少ない」の両方を含み、多いのか少ないのか、はっきりしない表現です。サーバーダウンが続くという深刻な状況にたいし、メモリ容量の「多少」の増強で対応できるかどうか、システム管理者側としては不安でいっぱいでしょう。どの程度の増強なのか、数値を示すほうがよいでしょう。
「こころもち」は「いくらか」「いくぶん」という意味で使われ、表現自体には配慮も感じますが、海外の郵便事情に通じていない人の場合、「こころもち」のころあいがわかりません。余裕を持って対応することを求めるのであれば、目安を示すことが必須でしょう。
書き手に便利な表現が正解とは限らない
ここまで、「だいたい」「おおむね」「あらかた」「相当」「そこそこ」「ある程度」「やや」「若干」「多少」「こころもち」という10の程度副詞を見てきました。それらに共通することは、程度というものが書き手の主観に依存するものなので、程度や数量を読み手が把握しにくく、意味があいまいになりやすいことです。
書き手にとって便利な表現が、読み手にとって正解とは限りません。むしろ、書き手に優しい表現は、読み手に厳しいのです。文章は書く人のためにでなく、読む人のためにあるものです。情報をはっきり伝えるために、学術的な場面はもちろん、ビジネスの場面でも程度副詞はできるだけ控えるようにし、数値を明確にして伝える姿勢が求められそうです。
1969年大阪府生まれ。神奈川県出身。国立国語研究所日本語教育研究領域代表・教授、一橋大学大学院言語社会研究科連携教授。一橋大学社会学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文章論。『論文・レポートの基本』(日本実業出版社)など著書多数。