「わかりません」と言うのが精いっぱいの幼すぎる母
いくつかの虐待裁判を見てきたが、どの被告も「幼い」という印象だ。何が彼女たちを幼く見せるのか。それまでの経験なのか。社会的経験のなさなのか。自分の感情を表に出せない、あるいは言葉遣いの稚拙さ、語彙の乏しさがそういった印象を与えるのかもしれない。
「いっぱい食べてほしいので、いっぱい置いていった」
「はっきり覚えていない」
「わかりません」
それを言うのが精いっぱいなのだ。
新型コロナの感染拡大で保育園が休園になり事態が悪化
この裁判は、母親が壮絶な虐待体験者であることでも注目を浴びた。彼女の実母は高校生のときに妊娠し、被告を出産。児童養護施設に彼女を預けた。小学校に入学するタイミングで実母は再婚した夫とともに彼女を引き取ったが、そこで虐待にあった。
ののしられ、バットで叩かれ、ごみ袋に入れられて風呂場に放置される。包丁で切りつけられるといった行為が繰り返された。近所の人が通報し、実母とその夫は保護責任者遺棄などの容疑で逮捕された。そのとき彼女は2週間の大けがを負った、と新聞が報じている。その後、施設で暮らし、高校卒業を機に上京した。
彼女は空港のレストラン、携帯ショップ、キャバクラ、居酒屋で働いた。のんちゃんができたとき、元夫は産むことに同意していなかったが、周囲のすすめもあり、結婚した。被告はいつも受け身だったという。のんちゃんを出産後、入籍したが夫婦仲は悪化し、シングルマザーになった。元夫の母親は、孫のためにお金を用立て、消毒液、オムツ、お菓子などを送って協力した。
「のんちゃんの写真を送って」と孫をかわいがり、元嫁のために何とかしたいという様子もうかがえた。しかし、精神的な支柱にはなっていなかったようだ。
2019年8月に、のんちゃんは保育園に入園。しかし新型コロナが流行し、休園になった。保育料が払えなかったこともあり、退園してしまう。区役所では、「預けることはできるし、保育園に戻ることを前提にしたらいい」とアドバイスを受けた。「預けられるお金ができたら預けます」と被告とのやり取りがあったという。