逮捕がきっかけであいまいだった状況がクリアに…

中学校の教諭が「今ママから電話きて」とは言わないだろうから、この「ママ」という呼称はAさんの思いがそう語らせたことになる。「これは終わったな」と確信しつつ、薬物の証拠を消すために「尽くす」身振りも強いコントラストを成している。

村上晴彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を気づかう子どもたちの孤立』(朝日選書)
村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)

注射器やストローを隠そうとする行為は、もちろん母を守ろうとして「尽くす」ことであるが、私は「尽くす」という言葉を選んだことに驚いた。○○のこどもの里の代表である荘保さんから事前に唯一聞いていた情報が、「警察が来てストロー流したり」ということだった。そのとき私は、母親がストローを流す場面にAさんが居合わせていたのだろうと思いこんでおり、まさかAさん本人が流したのだとは思わなかった。

「状況みんな把握した」と、この場面以降、今までさまざまな面であいまいだった状況がすべてクリアになり、全面的な知に切り替わる。表面的な「きっかけ」は逮捕だが、深層にある、より重要な転機は、この知の布置の組み換えではないかと思われる。このあとAさんが「全部知ってた」と語る場面が多いが、逮捕がきっかけで関係する全員が知にいたり、そのなかで際立った存在としてAさんの知があるという構図になっている。

ヤングケアラーの経験を糧に将来の夢を見出す

母の身柄が拘束されたあと、いったんきょうだい3人はこどもの里に滞在することになる(緊急一時保護)。そして妹と弟は関東のY市にいる父のもとに引っ越し、中学3年生だったAさんは「私だけ約1年間ここ〔こどもの里のファミリーホーム〕に」滞在することになる。

【Aさん】他の子とかと違うって自分で思うのは、そういうことがあったけど、ぐれなかったんですよ、私自身。夜中、遊びに行ったりとかもなかったし、タバコ吸ったりとかお酒飲んだりとかも全くなかったんで。こういう経験をきっかけに、社会福祉士として仕事に就きたいって思って。その〔母親の逮捕という〕きっかけがある前から、『自分はいろいろ大変や』っていうのを分かってたから、『自分みたいな子とか親を増やしたくない』っていう思いがあったんで。だからもうそのときぐらいから、そういう『児童福祉関係の仕事に就きたいな』とは思ってました。

図書館でメッセージボードを持つ男子生徒
写真=iStock.com/paylessimages
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Aさんは「そういうことがあったけど」ぐれなかった。そして「こういう経験をきっかけに」社会福祉士を目指している。将来へ向けての願いが語られ始める大事な瞬間だ。Aさんは社会福祉士という、自分の困難な経験をそのまま昇華する職業を選ぶという仕方で逆境に応答しようとした。

ヤングケアラーとしての経験を糧にして、キャリアを築こうとする人がいる。そういう選択のためには、願いを持つことと願いをサポートする周囲の存在が必要だ。願いを持ち実現しようとすることは、子どもにとっても終末期の高齢者にとっても、自分自身の尊厳を守るための大事な要素である。

村上 靖彦(むらかみ・やすひこ)
大阪大学人間科学研究科教授・感染症総合教育研究拠点(CiDER)兼任教員

1970年東京都生まれ。2000年、パリ第7大学で博士号取得(基礎精神病理学・精神分析学)。13年、第10回日本学術振興会賞。専門は現象学。著書に『母親の孤独から回復する 虐待のグループワーク実践に学ぶ』(講談社選書メチエ)、『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』(医学書院)、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)、『交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学』(青土社)、『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』(中公新書)など多数。