市民主導のムーブメントは数多く存在する

他にも目を引く市民主導のムーブメントの例として「クリーニングデイ」がある。2012年から始まった年に2回開かれるイベントで、この日は誰もが自分の責任で不用品などを自宅の前や公園で販売できる。「リサイクルのハードルを下げる」「地域交流を図る」といったことが目的で、各地で街全体がフリーマーケットになる。国内全体では4500カ所以上で開催されているという。

同様の市民参加型のイベントとしては、誰もが1日食事や飲み物を販売できる「レストランデイ」や、自宅や職場のサウナを開放する「サウナデイ」といったものもある。いずれも本来ならば保健所や当局の許可が必要だが、市民が積極的に社会活動できるよう、1日だけは規制を少し緩和して、自己責任で楽しめるようにしている。

もとはたった1人の呼びかけや、一部の団体が始めたことであっても、いいと思うことならどんどん広がっていく。普段はもの静かなフィンランド人のどこにそんな情熱があるのだろうと思う時もあるが、言う時には言う、いいと思えばとりあえずやってみる、そんな底力やフットワークの軽さが感じられる。

国民全員に社会を変える力がある

フィンランド人と話していると、上の世代からは「若者に期待したい」「若い世代は素晴らしい」といった言葉がよく聞こえてくる。実際、2019年のサンナ・マリン政権発足時の閣僚19人を年齢別で見ると、30代が4人、40代が7人だ。

どうして若い人たちを素直に褒めて、責任ある仕事を任せられるのか。ビジネス・フィンランド日本の元カントリーマネージャーのペッカ・ライティネンは、「人間、年齢と共に保守的になり、どうしても腰が重くなってしまうが、社会は変わり続ける必要がある。だからこそ若い世代の力が必要。若い彼らはフットワークが軽く、考え方が柔軟で、スピードも速い。もちろん彼らに足りない経験を持っているのは上の世代の強みなので、方向修正やアドバイスなどをすることも時には必要だ」と述べていた。

この話を聞いて私が思い出したのが、日本に住むフィンランド人の友人が言っていた「日本語の『社会人』って不思議な表現だよね」という言葉だった。彼の主張は「学生が終わって就職したから社会人というのは変で、『社会の人』というのなら、学生だって子どもだって立派な社会人じゃない?」というもの。

これはフィンランド人の間で共有されている感覚を見事に言い表していると思う。年齢も性別も学歴も関係なく、一人ひとりが社会の一員であって、誰もが社会を良い方向に変える力があるというのがフィンランドの発想なのだ。