フィンランドでは国政の投票率が6~7割と高い。なぜ政治への関心が高いのか。ライターの堀内都喜子さんは「日本に住むフィンランド人の友人に、日本語の『社会人』って不思議な表現だよねと指摘されたことがあります。年齢も性別も学歴も関係なく、一人ひとりが社会の一員であって、誰もが社会を良い方向に変える力があるというのがフィンランドの発想なんです」という――。

※本稿は、堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

スタートラインで立つビジネスチーム
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保育園児から市民教育

フィンランドでは幼い頃から自分の意見を持ち、発信することが重視されている。その教育は何と保育園児の頃から始まる。クラスのシンボルマークを決める時に模擬選挙を行い、子どもたちがそれぞれの理由を言ったうえで投票したり、イベントのプログラムに子どもたちの意見を取り入れたりするといったことが、各地の保育園で行われている。それによって自分の意見を持つこと、相手にわかってもらうために話すことの重要性や、投票というシステムも自然と学ぶことができるのだ。

小学生になれば児童会があり、子どもたちが話し合って使い道を決められる予算もある。共有部分にソファを置くとか、スポーツ用具の充実、さらには気候変動対策を考えた校舎の一部の改善など、様々な実例がある。

中高生は青少年議員になれる

中高生は、学校を飛び出して自治体の青少年議会に参加することもできる。まだ参政権のない中高生だが、立候補してビジョンを語り、実際に同年代の子どもたちの投票を経たうえで青少年議員に選ばれる。地方議会での決定権は持たないが、地方議会は必ず参考意見として青少年議会の議論や提言に耳を傾けなければならないとされている。

参政権を持たない子どもたちを対象にした模擬選挙の面白い試みもある。大統領選や全国規模での総選挙など大きな選挙がある時は、全国的に多くの小中高校を巻き込んだ模擬選挙が行われ、実際の候補者や政党に投票することができる。NGOが主催しているもので、投票するのも、選挙の管理人をつとめるのも子どもたちで、実際の選挙さながらの光景が繰り広げられる。ボランティアベースで自由参加だが、多くの子どもたちが参加し、投票結果はメディアでも報道される。

気軽に政治活動へ参加ができる

政治にもっと興味があれば、既に述べたように10代の頃から各政党の青少年部に所属して選挙活動の支援や政治の議論に参加することもできる。

政党に入るほどの意欲はなくても、NGOなどに参加して社会課題に関わることは頻繁に見られる。

私が大学に留学していた時も、日本のサークル活動のような気軽さで、政治政党の勉強会や活動に参加している人、国際的なNGO、動物愛護、人権擁護、環境保護、平和活動といったものから、子育て支援、高齢者ケアのボランティア活動に関わる人など、いろいろな人がいた。社会に参加するための活動は様々な形で存在しているのだ。

フィンランドでは国政の投票率が6~7割と高いが、その背景にはこうした市民教育・社会活動の文化があるというわけだ。

なお、国会議員の顔ぶれには、元介護士や教師、スポーツ選手など様々な職歴の人がいて、性的マイノリティー、移民など、背景も多様で、現役世代も多い。

人口が550万人と少ないので、身近に議員やインフルエンサーがいるという人は多い。同級生が政治家になることも珍しくない。二世議員も多くいるが、政治家の家系でなくても議員になった例をたくさん見ているし、若い20代、30代のうちに政界の要職に就いたり、インフルエンサーとして社会に影響を及ぼしたりできることも、多くの人が近くで見て知っている。自分たちの仲間が政治や社会を動かしていると感じられるのだ。

地図とフラグのフィンランド
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同性婚合法化をもたらした国民発案制度

近年はネットやソーシャルメディアの活用もあり、どこかの団体に所属していなくとも一般市民が意思表示をしたり、ムーブメントを盛り上げたり、法制定に影響を与えることもできるようになった。例えば、フィンランドには2012年から施行された「国民のイニシアチブ(国民発案)」という制度がある。これは、国民の側が法改正や新たな法整備を望む場合、投票権を持つフィンランド人のうち5万人以上の署名を集めれば正式に政府へ提案することができ、しかも必ず審議されるという制度だ。法務省が公式ホームページを運営していて、そこには市民から出た数々の案が掲載され、署名を呼びかけている。

この制度によって立法されたのが同性婚の合法化だ。フィンランドでは、以前からパートナーシップ制度(同性カップルが関係性を公式なものとして登録し、互いの財産や相続に関する権利を得る仕組み)はあったが、同性婚は保守派の反対も根強かった。しかし2013年に全国的なキャンペーンが起こり、開始初日に10万人の署名が集まった。そして国会での審議を経て2015年に法案が成立、2017年に施行されている。

実際にこの制度で法案の成立に至るのは年間数件ほどだ。それでも、署名が一定数集まればメディアでも報道されるので、広く国民や政治家に社会問題として認知してもらうのに役立つ。

市民主導のムーブメントは数多く存在する

他にも目を引く市民主導のムーブメントの例として「クリーニングデイ」がある。2012年から始まった年に2回開かれるイベントで、この日は誰もが自分の責任で不用品などを自宅の前や公園で販売できる。「リサイクルのハードルを下げる」「地域交流を図る」といったことが目的で、各地で街全体がフリーマーケットになる。国内全体では4500カ所以上で開催されているという。

同様の市民参加型のイベントとしては、誰もが1日食事や飲み物を販売できる「レストランデイ」や、自宅や職場のサウナを開放する「サウナデイ」といったものもある。いずれも本来ならば保健所や当局の許可が必要だが、市民が積極的に社会活動できるよう、1日だけは規制を少し緩和して、自己責任で楽しめるようにしている。

もとはたった1人の呼びかけや、一部の団体が始めたことであっても、いいと思うことならどんどん広がっていく。普段はもの静かなフィンランド人のどこにそんな情熱があるのだろうと思う時もあるが、言う時には言う、いいと思えばとりあえずやってみる、そんな底力やフットワークの軽さが感じられる。

国民全員に社会を変える力がある

フィンランド人と話していると、上の世代からは「若者に期待したい」「若い世代は素晴らしい」といった言葉がよく聞こえてくる。実際、2019年のサンナ・マリン政権発足時の閣僚19人を年齢別で見ると、30代が4人、40代が7人だ。

どうして若い人たちを素直に褒めて、責任ある仕事を任せられるのか。ビジネス・フィンランド日本の元カントリーマネージャーのペッカ・ライティネンは、「人間、年齢と共に保守的になり、どうしても腰が重くなってしまうが、社会は変わり続ける必要がある。だからこそ若い世代の力が必要。若い彼らはフットワークが軽く、考え方が柔軟で、スピードも速い。もちろん彼らに足りない経験を持っているのは上の世代の強みなので、方向修正やアドバイスなどをすることも時には必要だ」と述べていた。

この話を聞いて私が思い出したのが、日本に住むフィンランド人の友人が言っていた「日本語の『社会人』って不思議な表現だよね」という言葉だった。彼の主張は「学生が終わって就職したから社会人というのは変で、『社会の人』というのなら、学生だって子どもだって立派な社会人じゃない?」というもの。

これはフィンランド人の間で共有されている感覚を見事に言い表していると思う。年齢も性別も学歴も関係なく、一人ひとりが社会の一員であって、誰もが社会を良い方向に変える力があるというのがフィンランドの発想なのだ。

フィンランド大使はエコノミークラスで移動

様々な課題はあるが、基本的にフィンランド人の生活への満足度は非常に高い。2018年から5年連続で、幸福な国ランキングでは1位だったし、EUの統計局であるユーロスタット(Eurostat)の調査でも生活満足度は欧州トップクラスとなっている。若い頃は国外に出て刺激的な生活をしたいと言っている人でも、結局は結婚して子どもを持つとフィンランドに戻ってくるケースが多いように感じる。

堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)
堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)

その大きな理由として、機会の平等と公平性がある。フィンランドでは大統領が飛行機で移動する時も、ビジネスクラスに席がなければエコノミークラスで移動するし、大使たちは基本的にエコノミークラスだ。いくら裕福な人でも、出産や手術は一般の病院で受け、学校も大学も身近な公立に行く。

教育も福祉も住む地域や経済的な背景に関係なく、一定水準のサービスが受けられる。まさにゆりかごから墓場まで、最終的には国が何とかしてくれるという信頼があり、国民たちは税金を納めてサービスとアクセスの保障に貢献する。

その分、その平等や公平性がゆらぐ出来事に対しては非常に敏感に反応する。

プログラミングがまだ義務教育に組み込まれていなかった頃、子どもや大人向けに様々なプログラミング教室が開催されていたが、その多くが企業の支援を受けて無料だった。皆にとって必要な知識だからだ。有料だと、スキルを得られるかどうかで格差が生まれてしまう。

コロナ禍のマスクについても、義務教育の子どもたちには必要に応じてマスクを無料で配布することになった。全員が必要なものならば格差があってはならない、と。

教育に限らず、保育、介護、福祉などあらゆる分野で、全ての人たちにアクセスの保障と公平性が保たれるべきだとの考えは、フィンランド人の価値観の根幹となっている。フィンランドは相対的に格差がきわめて小さい国の一つである。それでもフィンランド人に聞けば「格差が広がっていることが心配」とか「まだまだ不平等だ」というネガティブな答えが返ってくる。現状に満足せず、状況を厳しく捉えている。

そして誰もが尊厳のある生活水準を保てることを必要な社会保障と捉え、低所得層への支援に対しては寛大だ。彼らを努力が足りない人だと見るのではなく、そのような状況に陥っているのはむしろ社会の問題だと捉える。

100年後のフィンランドはどうなっているか

フィンランドは50年、100年後はどうなっているのだろう。その頃にはサステナブルな社会を築けているだろうか。私はきっと、福祉国家としての基本的な価値観を維持したまま成長を続けていると思う。人が国の一番の資源だと考えて投資を惜しまず、新しい考え方やイノベーションを柔軟に取り入れ続け、一人ひとりの市民がそれを支えているだろうから。

個々の制度や特定の個人が立派なのではなく、その根底にある「平等」「公平性」といった価値観や思想、そしてそれを支える人々の力こそが、フィンランドが誇る最大の強みであり、そして一番の宝物なのだ。