均衡の真理を愛したプラトン

プラトンは忠実な再現を目指したエジプト芸術(人間の身体の各部位を最もシンプルな角度から再現して描いたパピルス画がその一例)を、均衡や黄金比のもつ本質的な美を無視し、ただ客を喜ばすことだけを考える模造の芸術であるギリシャ芸術と区別している。

民主制や芸術に対する厳しい批判、そしてその厳しさを多少とも緩和させる時においてさえ、プラトンにとって重要なのは真理への愛であり、永遠のイデアに対する忠誠心なのだ。

プラトンの創立した学校、アカデミアの正面には、「数学を学ばぬ者この門をくぐるべからず」とある。均衡の真理を愛する者しか入ってはならないという意味だ。均衡の真理こそ、数学が私たちに教えてくれるものであり、一時的な感情や意見、可感界の表面的な世界と距離を置くことを教えるものである。

数学がサイエンスの基本であるのは、他の分野に比べ、感覚でとらえた具体的な物体を抽象化し、幾何学、代数という絶対的に純粋な状態で考えることを可能にするからだ。

当時、プラトンの野望は失敗に終わった

プラトンは『ソクラテスの弁明』で師のソクラテスを賛美し、その教えを忠実に守ってきた。そして、真理に到達する手段として、「産婆術」を唱えるようになった。質問や後押し、時に皮肉を言うことで「胎内にある《精神》を引き出す技術」と言ってもいい。

偏見から魂を救い出し、すでに胎内に存在している「真理」の存在に気づかせる。つまり、「再認識」させるのだ。もちろん、簡単でないことは百も承知だ。

有名な「洞窟の寓話」は、人間が目に見えるものに囚われている様を示している。洞窟から一度も出たことがない人は目に見えるもの(実は小さな開口部から射し込む光によって洞窟の壁に映し出されている虚像にすぎない)を現実だと思い込む。

一方、哲学者は洞窟の外におり、遠くや天上の世界を眺め、見た目だけの幻影にはまどわされない。哲学者が洞窟に戻り、人間に真理を教えてやろうとしても、人はそれを信じようとしない。幻想の居心地の良さから離れたくないのだ。

芸術を批判したプラトン自身も、哲学的対話という新ジャンルで必ずしも成功を収めたわけではない。今でこそ、偉大なる古典哲学の祖とされているが、当時彼は人気を得ることを夢見、劇作家に嫉妬し、自身も対話という新ジャンルの文学の創立者になろうとしていたのである。だが、その野望は失敗に終わった。

劇場は常に人々を魅了しつづけ、詩人も人気があった。詩人が都市を追われることはなかった。一方でプラトンの対話は、彼の生きているあいだ、ごく一部の人にしか人気がなかった。

それでも、後年になって再評価され、アングロサクソン系の哲学者ホワイトヘッド〔1861~1947〕が西欧哲学はすべて「プラトンの対話の脚注」にすぎないと言うまでになったのである。