理不尽なつらい目に遭ったとき、気が滅入るニュースを目にしたとき、どうしたら心の安定を保っていられるのでしょうか。壮絶なネット中傷の被害に遭って出家し、天台宗の僧侶となった髙橋美清さんは、「定期的に心の『断捨離』をするといい」と説きます――。

心の持ちようで見え方は変わる

コロナ禍以降、自暴自棄になった人による痛ましい事件が続いています。埼玉の猟銃立てこもり事件や大阪のクリニック放火殺人事件もそう。前者は容疑者のお母さんを見てくださっていた訪問医療の医師が、後者では容疑者を診察していた医師が犠牲になりました。

天台宗僧侶の髙橋美清さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)
天台宗僧侶の髙橋美清さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

こういった事件を目にするにつけ、思い出すことがあります。それは、比叡山の行院ぎょういん(天台宗の正式な僧侶となるために修行をするところ)で修行をしていた時のこと。そのお寺のご本尊はお不動様(不動明王)で、毎朝自分たちが食事をする前に「仏飯ぶっぱん」をおそなえしていました。

ある日、仏飯をおそなえした後、掃除をしていたら先生がお不動様を指して、私に「これは何だ?」とお尋ねになるんです。「なぜそんなことを?」と思いながら「お不動様です」と答えると、「本当か?」と返ってきます。もう一度、「お不動様です」と答えると、「これは木だ」とおっしゃるんです。

さらに「お前にそう(お不動様に)見えるだけじゃないのか?」ともおっしゃるので、「いいえ、お不動様です」「なぜ木に手を合わせるんだ?」と、問答になりました。

たしかに、信心がなければ不動明王の形をした木でしかありませんし、「ただの木だ」と思う人は手を合わせることもしないでしょう。その時、「自分の心の状態次第でものの見え方は変わってくる。心ってすごいな。だけど、怖いな」と思ったんです。

心がギスギスしていれば、助けてくださったお医者様さえも敵に見えてしまうのかもしれません。何かを判断する時は、自分の心がどういう状態かを客観的に見る必要があると思うのです。

「イヤな気持ち」をどう処理するか

例えば、会社でイヤなことがあったとします。夜眠る前にそんなことを考え出すと、「どうして、私だけあんなことを言われなきゃいけないんだろう?」「どうしてこんなに頑張っているのに、理解されないんだろう?」と、どす黒い思いが膨らみます。やがて、そのとがった気持ちの矛先を相手に向けたくなってしまいます。

私もそんな経験があります。いわれのない、ひどいネット中傷を受け続けて、毎日そのことで頭がいっぱいになり、ほかのことが手につかなくなってしまったのです。

ネットの掲示板に、1000件以上の中傷を書かれました。そのほとんどの書き出しが「くそばばあ」なんです。当時の私は、日本中で一番、見ず知らずの人に悪意を持って「くそばばあ」と呼ばれた50歳だったと思います。