対面のコミュニケーションでは限られた脳のリソースを有効に活用できる

コロナ禍は、私たちのコミュニケーションの在り方にも大きな影響を与えている。リモートワークが浸透する中、「直接人と会うことの価値を再認識した」という声は多い。人が、空間や時間を共有する意義はいったいどこにあるのか──。脳科学、認知科学を専門とする中野信子氏に聞いた。

「対面の方が効率的」ということは十分あり得る

私たちは、大事な人に親愛の情を示そうとする際、握手をしたり、一緒に食事をしたりします。これを脳科学の視点から見ると、神経伝達物質であるオキシトシンの分泌を促している。そんなふうに捉えられます。俗に愛情ホルモンとか、絆ホルモンといわれるオキシトシンは、スキンシップによって分泌が活性化し、信頼関係の構築にも大きな役割を果たしています。医学的に消化管は体の外側に当たりますから、実は食べ物が喉を通るときも、脳はスキンシップと似た反応をするのです。

このオキシトシン、実は触り心地のいいものに触れることでも分泌が増えます。例えば、ツルツルしたものを触っている人と、ザラザラした触り心地の悪いものを触っている人に、同じお願い事をすると、ツルツルしたものに触っていた人の方が「YES」と答える確率が高い。そんな実験結果もあります。つまり、心地よい感触が目の前の人への信頼感を醸成している。商談の場であれば、机やテーブルの手触りが契約の成否に影響を与えることもあるわけです。

人はこれまで長い間、同じ空間で直接顔を合わせることによって、相手への“受容”や“共感”といったものを伝えてきました。そこでは非言語的なメッセージも多くやりとりされており、言葉や文章だけで関係性を築こうとすれば、相当高度な言語スキルが要求されるはずです。その意味では、ビジネスの世界でも結局対面でのコミュニケーションの方が効率的。移動の時間を考慮してもメリットが大きいという場合が十分あり得る。このことはもっと意識されてもいいように感じます。

中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者 医学博士 認知科学者
1975年東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。科学の視点から人間社会で起こり得る現象および人物を読み解く語り口に定評がある。

人間は「脳」をできるだけ働かせたくない生き物

ウェブ会議などオンラインでのコミュニケーションは、時間も節約でき、非常に便利。コロナ禍以降、私も大いに活用しています。ただ、「リモートだと疲れる」という人が少なくないのも事実で、理由の一つにはマイクロエクスプレッションと呼ばれる微妙な表情の変化を読み取りにくいことがあります。対面であれば難なく感じ取れていた心情や感情の動きが捉えづらく、そこにストレスを覚えるのです。

また、ウェブ会議だと画面上の「自分の顔」が気になってしまうという人も案外多い。自分の顔がどう映っているかに意識が向き、会話に集中できなくなってしまうのです。

本来的に人間は、「脳」という大量のエネルギーを消費する器官をできるだけ働かせたくない生き物です。そうした中、脳にこれまでにない負荷をかけてしまうのは、オンラインでのコミュニケーションの課題の一つ。相手の機微を捉えやすく、会話に集中できる対面でのやりとりは、“限られた脳のリソースを有効活用する”という意味でも価値があり、コロナ禍で「会うこと」が見直されているのはもっともな話だと思います。

また日本では、場の空気を読んだり、周囲と強い絆を結んだりすることが重視されます。自然災害のリスクが高いなどいくつかの理由から、生存戦略上、個人よりも集団としての意思決定が大事にされる傾向が強いのです。最近はアバターなどを使い自然な会話をサポートするツールもありますが、リアルには及びませんし、触覚を再現してスキンシップまでできる仕組みの登場などはまだずいぶん先でしょう。当分は、リアルとバーチャルを上手に使い分けることが求められます。

行列をしてでも本物を見たいのが人間

人と直接会うことと同じように、現地に行ったり、実物に触れることも人間の根源的な欲求です。私自身は最近アートに興味があり、美術展などにも足を運んでいます。単に作品を見るのであれば、写真集でもいいわけですが、やはり多くの人は行列してでも本物を目にしたいと考える。それは、本物とデータでは得られる感動が異なることを経験的に知っているからです。

加えて私たちの脳は、慣れない作業を嫌う一方で、新しいものを好む性質を持っています。それは新奇性が快楽物質ドーパミンを放出させるトリガーだから。よく見知ったものに安心する一方で、見知らぬものに出会いたい、新しいことに挑戦したい。そうした矛盾を抱えているのが人間なのです。

私たちの無意識の行動や判断を科学的に説明する脳科学ですが、当然ながらそこにはまだ解明されていない謎が多く存在します。先ほどのアートの話で言えば、明日生きることには直接役に立たないものに、人はなぜ何億円も払うのか。そうしたことも私の関心事です。効率性や合理性だけでは決して割り切れない。そんな興味深い人間と、これからも一人の研究者として向き合っていきたいと思います。

私の出張アイテム
移動の時間は体を休めるのに使うことが多いので、「耳栓」が欠かせません。目は閉じることができるけど、自分の意思で耳を閉じ、音を遮断することはできないので、必ずかばんに入れています。

Face to Face ─場の共有が生み出すもの─