妻は“外の者”だから「夫婦別姓」

少し遠回りになったが、儒教の教えと父方の血縁に対するこだわりの強さを説明した理由は、それが嫁である妻の姓に決定的な影響を与えたからだ。つまり、中国の伝統社会は独自の固有名詞を発明してまで父方の血統にこだわった。

その中で、夫の血を引かない妻がどう扱われたか、読者も想像して欲しい。ズバリ、妻は終始、子孫存続のための「外の者」で、伝統社会における夫婦別姓はその結果だったのだ。こうして妻は、結婚後も夫とも子どもとも違う生来の姓を名乗り続けた。

これは、孫からみると、母方のお婆ちゃんは「外の」婆なので「外婆(ワイポー)」と呼ぶのと同じ理屈だ。子どもを自分の腹を痛めて生んだ母親でさえも、父系の血の理論では「外の」よそ者扱いだった。

また、このように嫁の存在理由は子孫作りだった。そのため、清朝までは、妻が子どもを生めない場合は「離婚するか、妾をもつか、養子を取る」権利が夫家族には法律(「大清律例」)で保障されていた。

「妻の孤立」の象徴から、「男女平等」へ

男の子の跡継ぎ作りを重要視する同様の文化は日本でも近年まであったが、さすがに今では廃れているだろう。一方で、まだらなモザイク型社会の中国では、農村の一部では未だに「嫁は子孫存続のための外の者」という考えが根強く残っている。孤立ゆえの夫婦別姓のしっぽは今もまだ、存在する。

冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓――家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)
冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)

80年代生まれで、現在30代の広東人の筆者の友人によると、同級生の女友達は結婚後、数年経っても子どもが生まれなかったために義母から離婚を促され、夫もそれに無抵抗だったので、ほどなく離婚したという。

また、2021年に中国のドキュメンタリーランキングで上位になったネットテレビシリーズの『奇妙な蛋生』でも、35歳の妻が不妊治療の甲斐なく子宝を授からなかったために、四川省の義母と夫の家から追い出された話が登場する。妻は子どもを生むための「外の者」という感覚はまだ完全には消えていない。

このように、急速な経済発展を遂げた21世紀の今日も、儒教思想の影響は中国社会の一部にまだモザイクのタイルの如く残っている。

中国の夫婦別姓の文脈で重要なのは、血統を示す父系家族の中で、妻は孤立していたために結婚後も姓が変わらなかった点だ。伝統的な中国社会にあった夫婦別姓は孤立した妻の存在を示すもので、前述した革命後の「男女平等の原則に基づいた夫婦別姓」とは正反対の代物だった。

斎藤 淳子(さいとう・じゅんこ)
ライター

北京在住26年。米国で修士号取得後、北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、北京を拠点に共同通信、時事通信、読売新聞のほか、中国の雑誌『瞭望週刊』など幅広いメディアに寄稿。NHKラジオやJ-WAVE、TBSラジオなどでも中国の現地事情を解説している。共著書に『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)、『在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由』(CCCメディアハウス)などがある。