新型コロナウイルスによる絶望的な状況に希望の光を照らしてくれたmRNAワクチン。その開発者であるカタリン・カリコ氏は、約40年にわたりmRNAの研究を続けてきた。驚異的なスピードでワクチンの開発に成功した軌跡をたどる――。

※本稿は、増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

ワクチンをシリンジに吸い出している
写真=iStock.com/MarianVejcik
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論文発表からようやく注目を集め始めたmRNA研究

2005年に論文を発表した頃から、カリコ氏の研究に日本人の村松浩美博士が加わった。村松氏は大学の隣の研究室に所属していて、脳虚血が起こす炎症反応の研究をしていたという。彼は動物実験を得意としていたが、研究に行き詰まりを感じていた。そこで、カリコ氏の誘いを受け、研究室の教授にも黙認してもらう形で共同研究に参加するようになった。

カタリン・カリコ氏
カタリン・カリコ氏(写真=YouTubeチャンネル池上彰と増田ユリヤのYouTube学園』より)

2012年には、シュードウリジンにさらに修飾を加えて改良し、タンパク質をさらに効果的に作ることにも成功した。現在のワクチンに使われているのはこの技術を使ったmRNAである(メチルシュードウリジン)。この年、日本の武田薬品工業から、肺気腫の治療を目的としたmRNA開発の資金提供を受けることになった。

翌2013年に来日したカリコ氏は、武田薬品工業を訪問しているが、彼女自身の研究に使えた資金はほんの一部でしかなかったそうだ。それでもカリコ氏は、研究を続けたい、そのための資金を出してくれるところなら、どこへでも行こうという気持ちだったという。

新たな協力者の発現

同じ頃、カリコ氏の研究に着目した人がいた。それが、ドイツの製薬会社「ビオンテック」の創業者、ウグル・サヒン博士だ。ビオンテックは、2008年にサヒン氏と妻のオズレム・トゥレシ氏が創業したベンチャー企業。ふたりとも、トルコ系移民2世の医師である。

30年前に大学病院で出会ったふたりは、新たながん治療の開発を志していた。サヒン氏もまた、mRNAの研究を長年続けていたひとり。がんの治療で化学療法が効かなくなった患者に対して、何も提案ができないことをもどかしく思っていた。がんの場合、いわゆる「標準治療」がすでに確立されてはいたが、それだけではあっという間に患者に対してできることがなくなっていくことに気付いたという。そこで、2001年に最初の会社を設立して、正常な細胞を傷つけずにがん細胞だけを攻撃する抗がん剤の開発に当たった。いわゆる抗体療法である。