InstagramやTwitter、様々なSNSを通して「好き」なものを共有した経験、ありませんか? あなたの“推し”で相手に魅力は伝わり切っているでしょうか。ブログで好きなゲームを推し続け、2500万pvを記録したトップブロガーのJiniさんが、共感される文章術を教えてくれます。

※本稿は、Jini『好きなものを「推す」だけ。共感される文章術』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

オレンジにテニスボールが3つ
※写真はイメージです(写真=iStock.com/tenkende)

あなたが言う「推しが尊い」は伝わっていますか?

何のことか、と思われた方に説明すると、「推しが尊い」とはオタクカルチャーにおけるスラングの一つです。読んで字の如く、推しが尊いのだと伝えているわけですが、要するに「尊い」という、身も蓋もない最上位の褒め言葉のみを使い、あえて語彙のない様を表すことによって、推しの神聖さを主張するニュアンスがあります。

私もオタクなので、同じオタクがこの定型文でいわんとしてることはわかります。推しとは尊いものです。ヤバいものです。後光の差す菩薩の如く、無条件に信仰してしまうものです。そういった推しに対する敬服の姿勢から出てくる言葉こそ、この「推しが尊い」という一文なのでしょう。

ですが、果たしてそれが真に推しに対する信仰といえるでしょうか?

尊いといえば、同じ推しを最初から共有する同志と打ち解けることもできるかもしれませんが、推しを知らない人にとっては、布教するどころか、引かれてしまうだけかもしれません。

真に推しに貢献し、布教するエバンジェリストとして、「尊い」以外の言葉で推しの崇高さ、偉大さ、寛大さを伝道してこそ、ソーシャルネットワークの全盛に生きるオタクの使命ではないでしょうか。