子育て期の「欠乏の罠」

時間選好率には大きな個人差があり、貧しく学歴の芳ばしくない人ほど時間選好率が高いことがアメリカの研究によって知られています(S.Mullainathan and E.Shafir(2013)Scarcity:Why Having Too Little Means So Much(Times Books,NY))。貧困主婦の話に当てはめると、彼女たちは時間選好率が比較的高いグループであり、「継続就業」を選んだ場合の長期的な「報酬」を見逃しやすく、短期的な「マイナスの報酬」を過剰意識してしまいがちです。そのような現象に対して、行動経済学的には、「欠乏の罠」という解釈があります。

子育て中の女性は、時間に追われている感覚を強くもっています。子どもの食事づくり、授乳、おむつ替え、戸外活動、読み聞かせ、入浴、添い寝など、日常の子育て活動は、たくさんの時間を消耗します。子どもが病気になったりすると、慌ただしさがさらに増します。彼女たちは、まさしく時間的「欠乏」の状態にあります。

時間的「欠乏」は、お金を使えばある程度軽減できます。日中に子どもを保育所に預けたり、ベビーシッターを雇って子どもの世話を任せたり、戸外活動のできる公園や、ヘルシーでおいしい総菜を買えるスーパーの近くに住居を構えるなどして、時間の節約が可能です。

しかし、仮にお金も「欠乏」していれば、何が起きるのでしょうか。家賃の安い地域に住居を構えるとします。すると、近くには、公園もスーパーも少ない場合が多いため、通うまでの時間が余計にかかります。収入が少ない中、食費を抑えようと、特売日を狙って一層遠くの激安スーパーまで買いに行くこともあるでしょう。

つまり、時間の「欠乏」はお金である程度解消できますが、お金が「欠乏」していれば、時間の「欠乏」にさらに拍車がかかるのです。お金と時間の「欠乏」は、人との付き合いを制約して、社会関係の「欠乏」を呼びます。社会関係の「欠乏」は、情報の「欠乏」に繋がります。情報の「欠乏」はさらなるお金の「欠乏」を招きます。

貧しい患者ほど、薬を飲まない

「貧困は、生活におけるほぼすべての側面において『欠乏』を呼び寄せてしまう」と、行動経済学者センディル・ムライナタン(ハーバード大教授)と心理学者エルダー・シャフィール(プリンストン大教授)がその著書で指摘しているように、貧しい人ほど「欠乏の罠」に陥りやすくなります。

ムライナタン教授らはさらに、貧困に伴う種々の「欠乏」に囲まれる中、人々は別の新しいことに関わる余力、いわゆる脳の「帯域幅」が、不足しがちになると指摘しています。脳の「帯域幅」は、人々の知力や、新しい情報を処理する能力を指します。それが不足していると、人々は情報を収集する能力、計画や立案する力、とくに長いタイム・スパンを見据えてのプランニング能力が弱くなります。これは、行動面の「失敗」を招いてしまいます。

アメリカの糖尿病患者を例にあげましょう。糖尿病は、昏睡、失明、足の切断や突然死を招くほどの恐ろしい病気ですが、正しく服薬すれば病状を有効にコントロールできることが知られています。言い換えれば、服薬には長期的には大きな「報酬」が見込めるのです。それにもかかわらず、薬の服用を怠る患者が多い。とりわけ低所得の患者ほど、服薬率が低く、糖尿病の進行が早いのです。お金の問題ではありません。低所得の患者には、メディケイドという無料の医療制度があり、自己負担ゼロで薬が入手できます。薬の費用的負担よりも、苦しい、面倒くさいなど服薬に伴う短期的な「マイナスの報酬」があり、それを患者たちが乗り越えられないことに服薬管理がうまくいかない理由があると考えられます。低所得の患者ほど、その短期的な「マイナスの報酬」に左右される傾向が強く、薬の服用を怠るという行動面の「失敗」を起こしやすくなります。