去年4月、一人の女性が生まれ育った東京を離れ、某県に移住した。43歳の未婚シングル、吉岡多恵さん(仮名)だ。「移住を決めた理由ですか……不思議なんですが、その県にはなぜか“受け入れられている”と感じたんですよ。そこで思い切って、勤めていた会社をきっぱりと辞めました」。移住先には、親戚も仕事上のつながりも、元々の知り合いもなかった。しかも東京から決して近いとは言えないその県は、日常的に東京と行き来できるような場所ではない。しかし彼女はその県に「できれば一生住みたい」という。どんな思いが彼女を移住という決断に駆り立てたのだろうか?
仕事で名前を残したい
多恵さんは、バブル崩壊直後に新卒として就職活動をした、就職氷河期世代の女性だ。将来について考えるときはいつも、「仕事で名前を残したい」と考えて生きて来た。憧れていたのは文字を扱う仕事。有名大学を卒業した後は、何度かの転職を繰り返し、広告会社で憧れの仕事に就いた。
38歳の時点での年収は700万円。仕事も待遇にも不満はなかったが、がむしゃらに働くうちに、体こそ壊さなかったものの、心が疲れていくのを次第に感じるようになっていった。
「ある日、仕事帰りに駅から家に向かって歩いていると、急に涙が流れてきたんですよね。悲しいとか辛いとか、自分ではまったく感じてもいないのに、涙がどんどんあふれてきて……。それでやっと、『ああ、私、疲れているんだな、もう、ダメなのかもしれないな』って、仕事を続ける限界を認めざるを得なくなりました」
いつかするはずの「ちゃんとした暮らし」
家族は母親が他界し、姉は結婚済み。病気がちの父親は専門家の手が借りられる場所に住んでいた。「東京生まれと言っても、私は小さいときに生まれた町から引っ越していますし、働き始めてからは姉と2人で池袋に住んでましたから、隣に住んでいる人の顔もまったく知らなかったんです。だから、そこが自分の“居場所”かというと、そんな感覚はまったくなかったし、“いつか出ていく場所”だとずっとどこかで思っていましたね」
いつかきっと自分にも“ちゃんとした暮らし”を送る日がやってくる。でもそれは「いつ」で「どこ」なのだろう……?