たった2人の「日本チーム」の奮闘

「ショパンコンクールは大変でした。例えばヤマハは7人もの技術者が1台のピアノのためにやってきたけれど、私たちのチームは私と調律師の越智晃の2人だけ。ピアノの調律は真夜中に会社ごとに時間を割り振って行われたのですが、1人が舞台上にあるピアノの音を鳴らしてみて、もう1人はホールの後方から音を聴いて確かめる。違和感があれば調整をしてまた鳴らして聴いてみる。それを繰り返すという寂しい作業でした(笑)。真夜中のそうした作業はそれはそれで楽しいものではありましたが」

とワイル氏は言う。確かに前述のドキュメンタリー番組でもほかのメーカーが大チームを組んでやってきたのに比べ、ファツィオリはたった2人のチーム構成だった。

「最初にファツィオリがショパンコンクールに参加したのは、番組で取材された第17回の前の開催である2010年です。ただそれまでパオロ(・ファツィオリ氏)にはこれほど大きなコンクールに出場した経験がなく、態勢が不十分ではないかと気になったのです」

ワイル氏がファツィオリと実際に仕事をするようになったのが2008年。すでにショパンコンクールの公式ピアノとしての出場が決まっていたが、上記の懸念を抱いたワイル氏は率先して準備の支援を行うことになった。じつは彼の前職はスタインウェイ・ジャパンのマーケティング・ディレクター。事前のアーティストとの接触や各種交渉ごとはまさに得意分野といえる。

さらに出会ったときからパオロ氏に絶大な信用を置かれており、「100万人に1人の耳を持つ天才調律師」と番組内でも称されていた越智氏もまたスタインウェイの出身だ。この2人が「日本チーム」としてコンクールの現場作業も行い、2010年の大会ではファツィオリを選んだ4人のコンテスタントのうち2人が入賞するという快挙を果たした。うち1人は、今やNo.1若手ピアニストとして名を知られるロシアのダニール・トリフォノフだ(第3位入賞)。以降、この日本チームはコンクール関連の仕事を一手に引き受け、2014年のルービンシュタイン国際コンクールでは第1位から3位入賞者すべてがファツィオリを選択。メーカーの名を広く知らしめることに一役買ったのだった。

2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールにてファツィオリを使用し第3位に入賞したダニール・トリフォノフ。その後11年にルービンシュタイン国際コンクールで第1位、同年のチャイコフスキー国際コンクールでも第1位かつ全部門のグランプリに輝く。2010年より前からファツィオリの愛用者だったという。写真提供:ピアノフォルティ