特に震災以降、再生可能エネルギーに対しては、単なる期待感を超えた現実的なニーズが高まっている。経済の活性化を重視する私たちの社会は、ずっとトリレンマ(三すくみ)と向き合ってきた。日本太陽エネルギー学会会長・太和田善久氏は、いまこそ再生可能エネルギーが切り札だと強調する。

発明から60年
いまもなお進化中

市場活性化が後押しとなり再生可能エネルギーの技術革新は続く
太和田善久●たわだ・よしひさ
日本太陽エネルギー学会会長
大阪大学大学院工学研究科
カネカ基盤技術協働研究所 招へい教授

工学博士。1972年大阪大学卒業、鐘淵化学工業(現カネカ)入社。80年よりアモルファスシリコン太陽電池の研究を開始し、民生用および電力用を製品化するなど多くの業績をあげる。『プロが教える 太陽電池のすべてがわかる本』(2011年、ナツメ社)を監修。

地球温暖化やオゾン層の破壊をはじめとするさまざまな環境問題──。原因とされるのは、化石燃料消費の急増やフロンなどの使用で、それらのほとんどは人為的なものだ。しかし、私たちが経済的な成長を目指す限り、エネルギー消費を大幅に抑えることは容易ではないだろう。

そこで、太陽光や風力、バイオマスなどのエネルギーをいかに効果的に活用するかが長く議論の的となっている。再生可能エネルギーとは、言い換えれば無限のエネルギーだからである。前身の組織が1961年に発足している日本太陽エネルギー学会も、その研究開発や活用に取り組む産学の団体の一つだ。

同学会会長の太和田善久氏は、30年以上にわたり、太陽電池の研究開発に携わってきた。

「現在のシリコン太陽電池の原型は、1954年に米国のベル研究所で発明されました。まだ、それほど昔のことではありません。しかし、技術開発の世界には『50年説』というのがあって、進歩を繰り返し社会に貢献しながらも、多くは50年くらいでまったく新しい技術に座を譲り、消えていくものなのです。ところが太陽電池は原型の誕生から60年を超え、なおも進歩が見込まれています」

固定価格買取制度が
やはり大きな転換点に

日本でも、1955年には太陽電池の試作品が生まれていたという。その後、70年代のオイルショックを契機に国は「サンシャイン計画」を策定し、太陽光を含むエネルギーの多様化と、石油に代わるクリーンエネルギー開発の促進を本格化させた。しかし当時の太陽電池は原材料となるシリコンが高価で、発電コストは1W当たり数万円もかかったのである。

「そこでアモルファスシリコン(非晶質シリコン)が注目されました。厚さ1ミクロン未満の薄膜シリコンをつくることを可能にし、原料コストを格段に下げたのです。ただ発電効率は、3~4%未満にとどまっていました」

やがて81年、太和田氏自身が大阪大学で、アモルファスシリコン・カーバイド・ヘテロ接合太陽電池を発明。さらに翌年、変換効率を従来の最高値の2倍近い8%までアップすることに成功した。

そして90年代を迎えると、国が「ニューサンシャイン計画」を掲げ、太陽電池の開発と普及は加速する。グローバル市場全体においても、この10年間に太陽電池生産量は飛躍的に伸びることとなった。

「すでに70年代以来、化石燃料の消費を減らすというモチベーションは不変でした。日本での太陽電池の普及を後押ししたのは、90年代に始まった補助金制度であり、ついに決定打となったのが2012年からの『再生可能エネルギーの固定価格買取制度』でしょう。今年4月時点で、認定された太陽光発電の累積容量は、実に68.4GW。仮に、これがすべて稼働すれば、国内で電力消費量が比較的小さくなるゴールデンウイーク中は、必要な電力すべてを太陽光でカバーできる規模となっています」