ウサギの足で化粧をした
同じ頃、千代は自分の顔にもひとつ発見をした。
きっかけは教員になった最初の夏休みだった。風呂場の棚にあった母の白粉を、パフ代わりの兎の足で顔にはたき、「剥げちょろけの鏡」をのぞく。そこには「世にも美しい娘の顔」が映っていた。父から色黒をけなされてきた娘には、思いがけない変化だった。
母は喜び、紅をさすのを手伝った。二学期にその顔で登校すると、生徒も同僚も驚いた。化粧をしてはいけないと咎める者はいなかったという。
化粧の手順は、なかなか忙しい。顔を洗い、クリームを塗り、練白粉をのばし、粉白粉をはたき、口紅と頰紅をつける。眉墨の代わりには、少し燃やしたマッチ棒を使った。これで約45分。化粧代は月給8円のうち、1円50銭から60銭を占めるようになった。
化粧をした千代は、学校の外からも見られるようになった。体操を教えていると、運動場の柵のまわりに人がたかる。行き帰りには、袂に恋文が入っている。だが千代は、そのどれにも答えられなかったという。この顔は兎の足が作った「化け物」だ。白粉が剥げて元の色黒の顔が現れたら、人はどんなにげっそりするか。そう思うと身も縮んだ。
やがて、その顔を見てもらいたい相手が、職員室に現れる。
クラスの生徒に恋文を運ばせる
大正4(1915)年に赴任した玉田精磨である。師範学校を出た正規の教員(訓導)だった。自伝では「佐伯正夫」と書かれているが、ここでは評伝に従って実名を使う。千代は校長から紹介された最初の一瞥で、心を奪われたと回想している。ちなみに「ブラッサム」では、島村辰彦という名で工藤阿須加が演じている。
相手は、同じ学年の優等生組の担任だ。2人は教案を持ち寄り、授業について意見を交わした。彼は、甲組と乙組という能力による呼び分けはやめよう、いまの乙組には十分な力があると言ったという。体操の時間には、一緒に八幡神社まで駆け足で走って行った。
好きな人が、自分の受け持つ子どもたちの力も認めてくれる。自伝には、そんな仕事と恋愛が重なる時間が描かれている。
千代は、切り昆布の煮たのを持って、相手の家へ行った。小さな布を接ぎ合わせて座蒲団を作り、それも運んだ。授業中に手紙を書き、生徒に持って行かせた。
その運び手は級長の三吉勇雄だった。後年のクラス会で、三吉はこう話したという。
「私は先生の恋文を運んだ郵便屋でした」
なぜ彼に頼んだのか。千代の説明は「一番たのみ易かったから」である。頼みやすい相手が、受け持ちの子どもだった。教室と恋愛の境目は、生徒にも越えさせてしまっていた。