大卒初任給の4分の1の値段
ウイスキーが熟成するまでには何年もかかる。大きくなった娘を嫁にやるのと同じだから、立派な衣装を着せてやりたい」。竹鶴がそう語ったという逸話は、ウイスキーを我が子のように慈しんだ彼の人柄をよく伝える。
大卒初任給が1万数千円だった当時、スーパーニッカの値段は3000円。2級ウイスキーが300円台で買えた時代の、破格の高級品だった。一本ずつ手づくりされるボトルゆえに生産量は年間1000本程度にとどまり、店頭にはなかなか並ばず「幻のスーパーニッカ」とまで呼ばれた。発売から2年後の1964年、東京オリンピックの年には、五輪マークをあしらった記念特製ボトルも登場している。量産体制が整い、ニッカを代表する銘柄になるのは、1970年代後半を待たねばならなかった。
ニッカウヰスキー北海道 余市蒸溜所 (@nikka_yoichi) January 8, 2026
リタの名前を冠したもの
ここで、ドラマと史実の違いに目を向けたい。「マッサン」最終回で政春がつくりあげたのは、妻の名を冠した「スーパーエリー」だった。エリーは政春に看取られ、最後の手紙を遺して旅立つ。その名を冠したウイスキーが世界に認められる結末は、遺された夫が前を向くために物語が用意した救いでもあった。けれども現実の竹鶴は、妻への思いを注いだ一本に、リタの名をつけてはいない。彼が選んだのは「スーパーニッカ」という名である。ニッカとは、竹鶴が1934年に余市で興した「大日本果汁」を略した、会社そのものの名だ。それは同時に、リタとふたりで歩んできた夢の名でもあった。妻の名を直接刻む代わりに、その道の名に最高の一滴を捧げた、と読むこともできる。
妻の名をウイスキーに残さなかった竹鶴だが、リタの名は別の場所に刻まれている。クリスチャンだったリタの葬儀は、地元の余市教会が執り行った。謝礼を辞退した教会に感謝を伝えたい竹鶴家は、老朽化した教会堂と幼稚園を建て替える費用として、リタの遺産を含む120万円を寄付する。これを受けて教会は1962年8月、それまでの余市幼稚園を「リタ幼稚園」と改めた。妻の名を冠したウイスキーは生まれなかったが、その名を抱いた園は、余市の町で今も子どもたちを迎えている。