境界線の勘違いが、摩擦を生む
私が教員としてというより、「生き方」として大切にしている考え方があります。それは、境界線です。国と国との関係を見ても分かるように、境界線が曖昧になると、そこには争いや恨み、悲しみが生まれます。どこまでが自分の責任で、どこからが相手の責任なのか。
この線引きが曖昧になるほど、人は相手に期待し、失望し、怒りを募らせていきます。学校と家庭の関係も、まったく同じです。
境界線とは、突き放すための線ではありません。信頼を成立させるための線です。私が附属小の現場で見てきた摩擦の多くは、人格の問題でも、教育熱心さの問題でもありません。
境界線の勘違い。ただ、それだけでした。
「任せる」とは、丸投げではない
附属小で、うまくいっている家庭に共通するもう一つの特徴があります。それは、「任せる」という言葉の意味を、正しく理解しているという点です。
附属小のよき保護者は、「学校に任せています」と言いながら、決して丸投げはしていません。学力が思うように伸びなかったとしても、体験が期待通りでなかったとしても、人間関係で遠回りする時間があったとしても、その結果を、家庭が引き受けるという覚悟があります。
単刀直入な言い方をすれば、学校に「学力・体験・成功の保証」を求めていないのです。だからこそ、学校に過剰な要求をせず、教師の判断を尊重し、うまくいかなかった時間さえも「学びの一部」として受け止めることができます。
任せるとは、責任を手放すことではありません。責任を自分の側に残したまま、裁量を委ねること。この感覚が共有されているとき、学校と家庭の間には、健全な境界線が引かれます。
国立大学附属学校の本当の使命
ここで、国立大学附属学校の本来の使命について、正確に伝えておきたいと思います。意外に思うかもしれませんが、国立大学附属学校は、「手厚い教育を提供するための学校」ではありません。
第1に、実験的・先導的な学校教育を行う場です。完成された正解を教える場所ではなく、新しい教育の在り方を試し、検証する場です。
第2に、教育実習の場です。未来の教師を育てるため、多くの教育実習生を受け入れます。そこには、当然、未熟な授業も含まれます。
第3に、大学の研究機関としての役割。
そして第4に、地域の学校へ成果を還元する存在であること。附属小だけが良くなればよいのではなく、公教育全体を前に進める使命を担っています。


