※本稿は、ローラ・L・カーステンセン(著)、米田隆(監修)、二木夢子(訳)『スタンフォード式 よりよき人生の科学』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
貯蓄ができないのは脳のせい
もし借金を抱えていたり、わずかな貯金をつくれていなかったりで、老後が心配だとしても、それはあなただけのせいではない。これも脳のせいだ。認知科学の成果ははっきりしている。将来に向けて貯蓄できない理由は、実際に歳をとった自分を想像するのが難しいからだ。たとえ貯蓄していたとしても、たいてい金額が不足している。
一般的に、将来の自分を現在の自分より禁欲的で、少ないお金で生きられるとイメージするからだ。夫婦は、配偶者が亡くなったあとに必要なお金をかなり低く見積もりがちだ。生き残ったほうはあまりぜいたくをしないだろう、と考えてしまう(パートナーがいないとすっかり落ち込んでしまうと考えるらしい)。これまでの半分の金額しかいらないと思いがちだが、たとえ1人で暮らし、1人で車に乗るとしても、住宅ローンや車のローンは半額にならない。
若いころにお金に苦労していた人でさえ、引退後の収入はさらに低いのに、それで十分に心地よく過ごせると考えてしまう。結局のところ、お年寄りにそんなにお金がいるだろうか、と思ってしまう。
老後に必要な最低限の収入を計算してみてほしいと尋ねると、たいてい、かなりつつましい金額が返ってくる。本当に80歳になってその金額で生きていけるのかと聞くと、なんとかやりくりするよ、という答えが返ってくる。では、その金額でいま生活できるのか、と確認すると、「とんでもない」と言う。論理的には意味が通っていない。でも、認識のうえでは、私たちはいつもこうしているのだ。
人間は“将来を過小評価する”癖がある
人々は一般的に、現在の価値を過大評価し、将来の価値を過小評価する。この想像力の欠如を、社会科学の用語で「遅延価値割引」という。お金に関する意思決定において、非常によく見られる現象だ。何人もの人に、今日10ドル欲しいか、来週12ドル欲しいかと尋ねてみると、お金が少なくなるにもかかわらず、すぐに10ドルもらうほうを選ぶ人が多い。
「つかまえた1羽の鳥は、藪のなかにいる2羽の価値がある」ということわざが思い浮かぶ。しゃれた格言だが、投資の観点からいうと不利な取引だ。老後に備えて十分に貯蓄できない人の背後には、将来の収入よりもいまの収入を選ぶというバイアスがかかっていることが多い。一部を貯金して将来のニーズに備えず、給与の全額をいますぐ使ったほうが満足する。貯めておけば利子を生み、将来的にはより大きな金額になるにもかかわらずだ。
このように明らかに不利な取引に陥ってしまうのは、なぜだろうか? たいていの方針を決定する際に、私たちは現在の自分に報い、痛みを先延ばしして将来の自分に負わせる傾向がある。いまケーキを一切れ食べてダイエットを来年に延ばしたり、いまたばこを吸って禁煙を後日に延ばしたりするのと同じように、いまお金を使って後日ツケを払う。いまぜいたくな生活をして、将来の自分に少ないお金でやりくりさせるのだ。