独立自尊どころか、食っていくだけで精一杯
個性や多様性を志向する民主主義社会が、非人間的で反倫理的な受験地獄に子どもを誘い、そのことに黙して語らずの大学関係者が多数いることを、彼は許せなかったのでしょう。
だから、重大な欠陥を内蔵した「この最悪の大学入学の制度」は、「教育基本法の理念とは相容れないもの」だという主張に至ります。みんなが志す本心とは違う方向に盲進しているだろう、と。
私たちが歩む先は、反社会的で非人間的な方角でいいのか、と。
彼のように国家に対して毅然とした態度で臨む大学人や、社会の一形成者(※7)としての責務を自覚・実践する凛とした大学人は著しく減り、もはや絶滅危惧種になりつつあります。
皆さんは、大学生になろうと思っていますか? 大学に通うことが誉れだと考えていますか? あるいは、大学くらい行っておかないと、という損失回避の考えでしょうか?
今や各大学は、独立自尊のヒトづくりをするどころか、食っていくだけで精一杯。入試制度に拘った宇沢と裏腹に、入試問題を外部業者に委託しようという動きさえ出てきており、建学の精神はどこへやら、という状態です。
「仏作って魂入れず」ではなく「魂抜ける」
「Windows2000って知ってます? 商社とか、窓際族でも年収2000万円貰えるっていうオイシイ職場です。サイコーじゃないっすか!」と熱弁する慶應生や、反骨精神どころか粉骨砕身で受験勉強に励み「政経に入ったからには一生安泰だわ」と勝ち誇る早稲田生や、「とりまイケてる会社に入って安定できればそれでいいんで。人生逃げ切りが一番ですよ(笑)」と得意気に語る同志社生を見て、福沢や大隈や新島はなんと思うでしょうか。いずれも、筆者が実際に聞いたリアルな声です。
政治と教育の政教分離は実現していません。
政治は教育に密着しているのです。
さて、このヒトづくりの副作用から分かることがあります。
組織にせよ仕組みにせよ、人がつくった人工物は、放っておくと、精神が抜けきってしまうということです。
大学をつくったのに建学の精神を忘れてただ生き延びることだけで精一杯というのは、どういう状態でしょうか?
「仏作って魂入れず」ではありませんね。「仏作って魂抜ける」です。
世のため人のために組織や仕組みをつくったのに、逆に組織や仕組みのために人が生きねばならなくなる。手段が目的と入れ替わってしまう。
大学以外にも同様の事例には事欠きません。自動車なくして田舎生活は営めない。学校なくして社会に居場所はない。
独り歩きしながら巨大化する手段に、私たちは跪き、依存する。
主客が転倒した逆立ち社会です。(※8)
7:「社会の形成者」とは『教育基本法』の言葉です。『教育基本法』(e‐Gov法令検索)の第一条(教育の目的)にはこう記されています。「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。
8:次の一節も、逆立ち社会の一症状かもしれません。「社会が豊かになればなるほど、価値はあってもすぐには採算に乗らないことをするのがむずかしくなる。(中略)経済が倫理を呑みこんでしまい、経済以外のおよそ人間的な観点を封じこんでしまう」(『スモール・イズ・ビューティフル』E・F・シューマッハー(講談社、1986年、90頁))。



