「訓練できる人」というシグナル

さて、先にもう1つの検討事項を挙げました。学校教育の職業的レリバンス研究に加えて、「学歴は何の象徴として、職業采配機能を担うまでになったのか?」という点です。

勅使川原真衣『学歴社会は誰のため』(PHP新書)
勅使川原真衣『学歴社会は誰のため』(PHP新書)

職業的レリバンス研究で言うと、学歴が仕事の遂行の上手さそのものを指し示す(占える)ものとは言えなさそうでした。となると、学歴は……いったい何を私たちに教えてくれる情報だと思われているのでしょうか。

専門的には「難しい大学に入り、長い間高等教育を受けたのなら、少なくとも仕事をさせたときの『訓練可能性』はあるよね」という見地から、学歴の有用性が説明されてきた流れがあります。つまり、仕事のパフォーマンスを具体的に占うことはできなくとも、

「この人、(仕事でも)頑張れますよ!」

というシグナル(目印)、お墨付きが必要ならば、それを表すのが学歴だ、ということです。何を学び、何をどうやっていくか? は未知でも、「訓練可能性」としての「学歴」を見れば、一定の達成を予見することはできなくない気もしてくると。

これを良しと考えるか悪しきと考えるかはここでは問いませんが、学歴が職業的成功を采配していくという一面は、「訓練可能性」で仕事をする様子を想像するしかないと考える理屈に下支えされているわけです。職に就いてからの具体的な仕事内容が詳らかでないとしても、歯を食いしばれる人かどうかは、学歴からわかる──いまだに企業の人事担当者も、表立っては言いませんが、まぁ否定できない見方とは言えそうです。学歴フィルターなるもので就活生を選抜している企業も、大学で学んでいることが、そのまま企業の発展に役立つとは思っていませんから。

ただ、ある程度の素地と、多少つらいことがあっても学び続け未来を切り拓いていけそうか? そんなことは見ているようです。

スーツを着たビジネスマン
写真=iStock.com/Yue_
※写真はイメージです

「情報の非対称性」が看過されている

余談ながら、マイケル・スペンスの「シグナリング理論」は、ミクロ経済学の概念ですが、その背景には欧米諸国における労働が大前提として「ジョブディスクリプション(職務要件)」がしっかりとした状態であることは付言しておきましょう。企業の採用活動において、「学生の本当の能力ってわからないよね」という「情報の非対称性」を基にした議論です。

他方で日本は、ジョブディスクリプションもないのに、「学生側の『能力』がよくわからない」という点だけを問題にしている状況が続いているように思います。つまり、就職活動時の大前提が欧米諸国と異なるのに、「情報の非対称性」や(企業と個人との)「権力勾配」の問題が都合よく看過されたままであることは押さえておきたい視点です。