日本でも溢れる「成功=学歴ではない」の声

ちなみに「イギリスでも」と言いましたが、こうした、「学歴なんて……」の内面に迫る研究の国内版も充実しています。こうした学歴をはじめとする能力主義的序列づけと距離のあるコミュニティにおける文化研究というのはあちこちでされています。『暴走族のエスノグラフィー』は言わずと知れた名著ですし、2024年に逝去された打越正行氏の『ヤンキーと地元』も代表的です。そのほかにも「学校で踊る若者は『不良』か? ストリートダンスはどのようにして学校文化に定着したか」や、『搾取される若者たち バイク便ライダーは見た!』などもご存じかもしれません。

と、少し細部に入りましたが、要するに

・仕事の出来は、学校の勉強の出来とは違う論理が働くんだぜ
・「成功」は学歴じゃわからないぜ

といった声はよく漏れ出るもので、また、「不良」でなくても個人の側も、「学校で教わることは本当に仕事の役に立つんですか?」という問いが一度や二度、頭をもたげたことがあるはずです。そのくらい「役に立つかどうか論」って、そこかしこに跋扈しており、それゆえ、研究もしかとされてきているということなのです。

教室
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学校は仕事に活きる学びを提供しているか

学校教育と仕事内容との関係性はいかほどなのか問題。教育・仕事の「中身」の話は、教育社会学の真骨頂。専門的には、「職業的レリバンス」研究が解明を試みてきています。その歴史は長く、学校、とくに就職との結節点である大学が、仕事で活きるような学びを提供しているのか否かを論じています。

たとえば、私も大学院でお世話になった本田由紀氏はそのど真ん中の研究者の1人です。『教育の職業的意義』をはじめ、近年では『文系大学教育は仕事の役に立つのか 職業的レリバンスの検討』も、的を絞った問いで読み応えがあり、ほかにも、濱口桂一郎氏の『新しい労働社会 雇用システムの再構築へ』は、日本型雇用が生む独特の職業的レリバンスやキャリアパスの特色などを紐解いた論説の1つでしょう。

興味の湧いた方は当該書を直接お読みいただくのがベストだと思いますが、本田氏の言葉で骨子をおさらいすると、あるべき「教育の職業的意義」を「特定の個別の職種にしか適用できないような、がちがちに凝り固まった教育ではなく、ある専門分野における根本的・原理的な考え方や専門倫理、あるいはその分野のこれまでの歴史や現在の問題点、将来の課題などをも俯瞰的に相対化して把握することができるような教育である。それは、一定の専門的輪郭を備えていると同時に、柔軟な発展可能性や適用可能性に開かれているような教育である」と定義し、現状は(我々の印象どおり)不十分であると述べます。