フィリピンの水力発電所

丸紅が事務所を構える一角では、銃撃戦が繰り広げられて、ときには事務所内にまで銃弾が飛んでくることもあった。

政権交代後、一気に丸紅は苦境に立たされてしまう。当時、マルコス政権と近かったと噂された丸紅は、“マルベニコス”と揶揄され、マルコス政権時代に交わされた契約はすべて白紙撤回になってしまった。新政権に、山添が何度も会社としての潔白さを訴えても、埒があかない。山添には砂を噛むような日々だった。

その苦境を救ったのは、長年、丸紅が脈々と築いてきた人脈だった。丸紅と付き合いのあったフィリピン電力庁のOBが、突然救いの手を差し伸べてくれたのだ。彼は、当時、日本に留学していた息子を丸紅が独身寮に入れ、世話してくれたことに深く感謝していた。

アブダビの発電造水事業

このOBの尽力もあって、丸紅にもようやく道が開けてきた。山添は、「毎月のように契約が取れてしまった」と言う。前述した発電所の改修工事も当初は、2基だけの予定が、最終的には8基すべてを受注するまでになった。結局、こうしたフィリピンでの電力事業が、山添が離任した後ではあったが、丸紅初のIPP(独立系電力事業)へとつながっていく。

フィリピンから始めたIPPは、10年間で5倍に急成長し、大型発電所の9基以上に相当する巨大事業となっている。

電力・インフラ部門における今期の利益は約250億円程度になるだろうと山添は分析する。山添が同部門長になったときは利益が50億程度だったというから、利益を5倍に引き上げたことになる。