修復不可能にまで錯綜した家族関係の根深さ

私は遠藤さんの現場に同行して驚愕した。ある女性は、都内のカフェで遠藤さんと向き合うなり、こうまくし立てた。

「ほんと遠藤さんがいなかったら、どうなっていたかと思うの。私たちの部屋に、いきなり弟の介護ベッドが持ち込まれるなんてことを想像したら、卒倒しそうになったの」

――遠藤さんがいて、本当に助かったわ。

聞くと女性には長年にわたって会っていなかった弟がいた。その弟が倒れたと病院から連絡があったらしい。突然、介護を押しつけられた女性は戸惑うしかない。そこで、遠藤さんを頼ったというわけだ。女性は遠藤さんの存在を知って、心底胸を撫でおろしていた。

これだ! と思った。私は母親の最期を、遠藤さんに請け負ってもらいたい。母が元気なうちはいい。しかし、母は絶対に老いていく。そのとき、私はきっと傷つき、疲れ果てるだろう。私は、やっぱりすべてを手放したいのだ。

私だけではない。多くの終活関係者と違って、遠藤さんは家族の切実な「困りごと」に真摯に耳をすませる。家族が話す言葉の一つひとつに耳を傾け、否定も肯定もしない。その姿勢が、自然でいい。それと同時に、遠藤さんは修復不可能にまで錯綜した家族関係の根深さを理解しているのだろうと確信した。

毒親の最期を押しつけられた子どもたち

取材を重ねて、親に苦しんでいる人たちがこれだけ世の中にいることは、すでにわかっている。だから遠藤さんにはその人たちの手助けをしてほしい、と強く感じた。どうか毒親の最期を半ば強引に押しつけられた子どもたちに、その現実的な逃げ道を開いてあげてもらえないだろうか。

遠藤さんが手掛けているのは「家族代行ビジネス」なのだ。遠藤さんに、もっともっと親を捨てたい子がマッチングすればいい。このとき、遠藤さんはほぼ一人で活動していて、草の根的でまだほとんど誰にも知られていなかった。そのため私は、何とかして遠藤さんの活動が一般的なものになるよう成長してほしいという願いを、密かに抱いていた。

毒親の最期と向き合うのは、ドン・キホーテの物語のような、途方もない骨折り作業だ。それは、世間に戦いを仕掛けることである。血縁主義の世の中に対して、反旗を翻すことである。どこからどんな弾が飛んでくるかわからない。そこはまさに地獄の戦場で、毒親育ちの私たちはゲリラ戦を戦わなければならないのだ。つねに戦況は思わしくない。

親を敬うことが当たり前だと強いる世間。血縁社会の中で感じる圧倒的な無力さ。それは幼い頃に感じた強大な母を目の前にしたときの無力さに近い。心が折れそうになる。

親から逃れるために、親の最期を外注してもいい

だからこそ、遠藤さんのような人が必要なことはわかっていた。遠藤さんの活動を世に知らしめること、そして私がその手助けをすること。そのためには、昔のように小さく震えてはいられないのだ。それが母に囚われていた私が今、社会にできる、ただ一つの問題提起なのだから。

それなら、私と遠藤さんで切り開いていくしかない。私自身のために、そして世の中で親に苦しみ、生きづらさを抱えるすべての人のために――。

長崎で出会った、ゴミの中で息も絶え絶えだったゴミ屋敷の女性。父親の教育虐待の末、引きこもり、歯がすべてなくなり孤独死した男性。彼らの姿が、脳裏に浮かんだ。どれも母の虐待の末に引きこもった私自身が辿ったかもしれない道なのだ。

ずっと死にたいと思っていたあの頃の私は、『日本一醜い親への手紙』に支えられて生きてきたではないか。あの本と出合った瞬間、目の前を覆っていた霧がスッと晴れるような感覚になったではないか。

日本の社会では一般的に、逃げることはよしとされない。

しかし、なぜ逃げてはいけないのか。私たちは、ずっと苦しめられてきた。だから苦しければ逃げていい。親から逃れるために、親の最期を外注してもいい。世間の常識に囚われなくてもいい。最後ぐらいは、いや最後だからこそ母と離れていたい。苦しみから、遠ざかっていたい。それを許してもらえない社会と戦いたい。そう感じるようになっていった。