92歳で国内最高齢の女性映画監督、山田火砂子さんは、30代で出産した長女が2歳の時に、知的障害があることがわかり、「どん底に突き落とされた」という。泣いてばかりの日々を経て、開き直って生きようと決めてからの人生は、どのように変わったのか――。

娘が生まれてどん底に突き落とされた

40代で映画プロデューサーになり、70代で実写監督デビューをした、国内最高齢の現役女性映画監督、山田火砂子さん(92歳)は、現在も精力的に映画を制作しており、2024年2月にも新作『わたしのかあさん―天使の詩―』を完成させている。

「わたしのかあさん―天使の詩―」撮影中の山田火砂子監督(手前)
わたしのかあさん―天使の詩―』撮影中の山田火砂子監督(手前) 写真提供=現代ぷろだくしょん

同作だけでなく、山田さんがこれまでに関わった映画には、障害児教育や福祉に関するものが多数あるが、その背景には、2歳になるころに障害があることがわかった長女、美樹さんの存在があった。

美樹さんが生まれたのは1963年。歌謡曲「こんにちは赤ちゃん」がリリースされた年で、街のいたるところで明るいメロディーが流れていた。色白で整った顔立ちの美樹さんを見て、山田さんは「将来はバレリーナか女優に」と夢見たそうだ。

でも1歳になっても美樹さんは立つことがなく、2歳の頃に知的障害があると診断された。「それまでの私は勉強もしないで威張りくさって天狗になっていたんだけど、娘が生まれてどん底に突き落とされた。それからの人生はまるで違います」

連載「Over80 50年働いてきました」はこちら
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福祉制度が整っておらず、障害基礎年金制度もない時代。「国は助けてくれないし、医者代も取られる。母親が子どもを抱えて海に飛び込むというような事件がたくさんあった。障害がある人はその頃は勤めるところがないし、食べることもできないから、のたれ死にする人だっていた」

山田さんもしばらくは泣いてばかりの日々だった。「天まで泣いたよね」。電車に飛び込もうと思ったことさえあった。でも、泣き疲れたころに「何が怖いのだろう」と考えると、娘の障害を「恥ずかしい」と思っている自分に気づいた。開き直って生きよう――。少しずつ前を向けるようになっていった。

ミニスカートで送り迎え

ミニスカートをはく40歳の時の山田火砂子さん(中央)と、長女の美樹さん(右)、次女(左) 提供=現代ぷろだくしょん
ミニスカートをはく40歳ごろの山田火砂子さん(中央)と、長女の美樹さん(右)、次女(左) 写真提供=現代ぷろだくしょん

美樹さんが通い始めた養護学校へ送り迎えするとき、山田さんは当時流行していたミニスカートをはいた。

まわりの母親たちは人に隠れるように目立たない格好をしていたが、山田さんには「まわりと違う子どもを生んだら何もしちゃいけないのか」との疑問があった。友達から「なんで障害のある子どもの親だけ昔風の格好してこなきゃいけないの。あんたがやらないと誰も着られないから、先頭切ってやってみなさいよ」とけしかけられた。「ばかだから乗せられて。プールに行ったらおへそが見えるような水着を着た」と山田さんは振り返る。

そんな山田さんの姿が、次第に周囲を変えていった。あるとき養護学校の先生から「あなたがここに来て、お母さんたちのスカート丈がだんだん短くなってきた。良い傾向です」と言われたそうだ。