「成功している」日経ですら電子版は100万契約にすぎない

一方で、細かいベタ記事がたくさん必要だった時代は、記者が幅広に取材しておくことが求められた。駆け出しの記者でもどんどん原稿を出すことができたのだ。ところが、雑誌化すれば訓練を積んだ記者しか原稿が出せず、結果、若手の訓練機会が失われている。これも記者の質の劣化につながっているのだ。それが中期的には紙面の質の低下にもつながるわけだ。紙の新聞の凋落による経営の悪化や、デジタル化自体が、記者を劣化させ、新聞の品質を落としている。

デジタル版が伸びているので新聞社の経営は悪くないはずだ、という指摘もあるだろう。確かにニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける。

デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ。1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少している。

スマートフォンを使用する女性の手元
写真=iStock.com/PeopleImages
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「新聞の特性」自体が消滅しつつある

このまま紙の新聞は減り続け、消滅へと進んでいくのだろうか。本来、紙の新聞には情報媒体としての優位性があった。よく指摘されるのが一覧性だ。大きな紙面にある見出しを一瞥するだけで、情報が短時間のうちに目に飛び込んでくる。36ページの新聞でも、めくって眺めるだけならば15分もあれば、大まかなニュースは分かる。その中から興味のある記事をじっくり読むことも可能だ。

ネット上の記事は一覧性に乏しいうえに、自分の興味のある情報ばかりが繰り返し表示される。便利な側面もあるが、自分が普段関心がない情報が目に飛び込んでくるケースは紙の新聞に比べて格段に低い。自分の意見に近い情報ばかりが集まり、反対する意見の情報は入ってこないネットメディアの性質が、今の社会の分断を加速させている、という指摘もある。

そんな紙の特性を生かせば、紙の新聞は部数が減っても消えて無くなることはないのではと私は長年思っていた。ところがである。前述の通り、デジタル版優先の記事作りが進んだ結果、1ページに載る記事の本数が減り、ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつある。新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのだろう。

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