新聞社が儲からなくなり、人材も育たなくなった

紙の新聞の凋落による最大の問題点は新聞社が儲からなくなったことだ。新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは私が新聞社にいた頃に比べて格段に忙しくなっている。紙の新聞は日に何度かの締め切りがあったが、電子版は原則24時間情報が流せるから、記者にかつてとは比べ物にならないくらいの大量の原稿を求めるようになった。ハイヤーで取材先の自宅を訪れて取材する「夜討ち朝駆け」も減り、取材先と夜飲み歩く姿もあまり見なくなった。新聞社も働き方改革で「早く帰れ」と言われるようになったこともある。

新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいた。そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのだ。儲からなくなった新聞社で人材枯渇が深刻化し始めている。

もちろん、それは新聞記事の「品質」にも表れる。長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈される。また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化している。

眼鏡と新聞
写真=iStock.com/Toru Kimura
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貴重な情報が隠されている「ベタ記事」が激減

最近の新聞からは「ベタ記事」が大きく減っている。かつて「新聞の読み方」といった本は必ず、「ベタ記事こそ宝の山だ」といった解説を書いていた。新聞を読まない読者も多いので、ベタ記事と言われても何のことか分からないかもしれない。紙の新聞では1ページを15段に分けて記事が掲載される。4段にわたって見出しが書かれているのを「4段抜き」、3段なら「3段抜き」と呼ぶ。これに対して、1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼ぶ。そうした細かい、ちょっとした記事に、貴重な情報が隠されているというのだ。

ところが最近は、このベタ記事がどんどん姿を消している。デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きい。長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われる。一見同じページ数でも、記事の本数が減れば、実質的に情報量が減ることになる。細かいベタ記事に目を凝らして読んでいた古い新聞愛読層が新聞の情報量が減ったと嘆くのはこのためだ。