「迷惑をかけてしまった」ときの制裁が恐ろしい

若い世代は「他人に迷惑をかけるようなことをしてはいけない」という倫理観をごく自然に内面化しているがゆえに、「迷惑をかけるリスクを高める営為」である子どもを持つことに対して前向きな気持ちを持てないでいる。

「倫理的で向社会的な、他人に迷惑をかけない善良な市民社会の一員」として要求されるハードルを高めに高めた社会は、たしかにこれまでの時代とは比較できないほど平和で安全で快適にはなった。しかしそれを実現・維持するために一人ひとりが負担しなければならないコストもまた高まっている。

分別ある大人だけのカップルで生活するならまだしも、子どもを連れている状態では公共空間で「他人の快適性・安全性・平穏性をけっして侵襲してはならない」という倫理的ハードルをとてもではないが超えられそうになく、また超えられなかったときの制裁が恐ろしいものになっている。

近頃では、公共空間や公共交通機関で「周囲の迷惑を顧みない子どもや親子連れ」を見かけたら、それをスマートフォンで撮影してSNSにアップするという行為もしばしば見られている。「こんな人たちがいました。みなさんはどう思いますか?」という文言を添えて。皆さんもそうした写真が自分のアカウントのタイムラインに流れてきたことはあるのではないだろうか。これ自体は盗撮の一種だろうし、法的にも倫理的にも問題があるように見えるが、しかしやはり定期的にタイムラインを賑わせており、「こんな子ども/親はけしからん」という怒りの共感が広がっていたりもする。

暗い場所でスマホを使用している人の手元
写真=iStock.com/Urupong
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子どもを持つことにリスクを感じさせる緊張感の高まり

子どもが公共の場で少し騒がしくしてしまうことなど、どれだけ躾を厳しくしたって完全にゼロにはできないだろうにもかかわらず、「社会の秩序や規範を逸脱する不届き者」として厳しい視線を向けられ、場合によっては盗撮されてSNSに晒され、大きくバズって数千万ものアクセスを獲得してしまう――こんな状況は、とくにSNSに親しんでいる若い世代にとっては恐怖以外のなにものでもない。潜在的には子どもを持ちたいと考えている若いカップルであっても、こうしたギスギスした緊張感の高まりは、子どもを持つことに心理的なリスクとためらいを感じさせるには十分だ。

とくにこうしたトラブルは公共交通機関の発達した(人が密集して暮らしている)都心で起こりやすい。だが、所詮は都心の問題にすぎないのだから……とは片付けられない。なぜなら近年は都心とくに東京に若年層やファミリー層が全国から集まっているためだ。都市部への若者の流入が止まらない現状では、都会で子どもを持つことによる「ただしい社会市民」としての要求を達成する難度が跳ね上がってしまえば、それはそのまま「多くの若者にとって子どもを持つことをためらわせる原因」のひとつとしてダイレクトに結びついてしまう。