日本の少子化が深刻化しているのはなぜか。文筆家の御田寺圭さんは「電車で子供が少しでも騒ぐと、厳しい視線を向けられ、場合によっては怒鳴られたり、撮影してSNSで晒されたりすることもある。こうしたギスギスした緊張感の高まりは、子どもを持つことに心理的なリスクとためらいを感じさせるには十分だ」という――。
手をつないで歩くカップル
写真=iStock.com/west
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満員電車に響いた赤ちゃんの泣き声

つい先日、所用があって地下鉄に乗っていたときに、とても居心地の悪い出来事があった。

ある駅で私が乗ってからほんの数駅先で赤ちゃん連れの母親が入ってきたのだが、赤ちゃんは車両に入ってきたときすでにベビーカーのなかでギャンギャン泣いている状態だった。

彼女はずっとあやそうとしているのだがうまくいかず、次の駅で運悪く車内の混雑が激しくなってきてしまった。そうして車両の轟音と赤ちゃんの泣き声だけが響く車内のどこからともなく「親は泣き止ませることはできないものかねえ~!」と年配の男性の声が上がったのだ。あたりを見回したが、私の視点からではその声の主は確認できなかった。母親もその声には直接返答はしなかったが、やはり動揺した様子で、申し訳なさそうに畳んだベビーカーを倒れないように手と腰で支えながら、子どもを抱きかかえて上下に揺らしていた。

いくら満員電車でピリピリしていたとはいえ、そもそも赤ちゃんが泣くのは当たり前だろうと感じ、いちいち声を張り上げるようなことかと釈然としない思いだったが、まもなく目的の駅に着いてしまった私は、なかなか泣きやまない赤ちゃんをあやしていた彼女よりも先に降車した。

「迷惑をかけないこと」のハードルが飛躍的に上がる

ご存知のように現在の日本では毎年出生数が減少しており、今年はいよいよ大台の70万人台前半が確実視されている状況となっている。その原因について、仕事が不安定だからとかお金が足りないからとか子育て支援が不十分だからとか、色々と原因が挙げられている。私はそれらが全く無関係であるとまでは言わないが、こうした議論ではなかなか俎上そじょうに載せられない、もうひとつの大きな原因があると考えている。

それはすなわち、「社会や他人に迷惑をかけない」という倫理的ハードルの達成難度が、子どもを持ってしまうことで飛躍的に上昇してしまうことだ。

大人ひとり、あるいは大人同士のカップルが暮らしていくなら、いくらでも「社会や他人に迷惑をかけない」という現代社会の倫理的責務を達成できよう。だが、子どもという大人ほど分別がなく、我慢強くもなく、また予測困難な行動をしてしまうような存在を帯同してしまえば、「迷惑をかけない存在としてふるまう」という、大人だけなら簡単にクリアできていたハードルが途端に高い関門となる。そう、電車内で泣いてしまえば、それだけでイライラさせてしまい、最悪の場合はこうして怒鳴られてしまったりもするのだ。