「自分が本当にやりたいこと」はどうすれば見つかるのか、「本当の友だち」はどうしたらわかるのか。フランスの高校生は「哲学」の授業で、そうした問いへの考え方を学んでいる。フランスの哲学者シャルル・ペパン氏の著書『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』(草思社)より、一部を紹介する――。(第1回)
学校の授業で手を挙げる子供たち
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「自身の内なる欲望に耳を傾けよ」は誤解

「本当になりたいものは何か、どうすればわかるのか」

哲学者にこんな質問をしたら、内省や論理的な考察を推奨し、世間の喧騒から離れ、自身の内なる欲望に耳を傾けよという答えが返ってくると思っている人が多いのではないだろうか。

だが、それは誤解である。デカルト、ヘーゲル、アラン、サルトルなど何人もの哲学者、いや、かなりの数の哲学者がそれを知るには、行動を起こすこと、その選択が正しいか否かを知るにはまずひとつの道を選んで歩き出すしかないとしている。

なぜ行動が推奨されるのか。すぐに浮かぶ理由は、考察だけですべての問題を解決できるわけではないからである(デカルト風に言うなら、悟性は限定的なものだからということになる)。

大学に行くか、専門学校に行くか、どちらを選ぶにしろ、人それぞれに理由はあるだろう。だが、「悟性」で想像しても限界はある。どちらの選択肢があなたの人生、その生き甲斐に直結するものかを断定することはできない。それでも、決めなくてはならない。知性ではなく、意志の力で「決断」するのだ。

アランは、デカルトが「行動の世界」と「形而上学的真理の世界」を区別していることを例にとり、「行動の秘訣ひけつは、行動を起こすことだ」と書いている。行動の世界において、私たちはその選択の意味や結果を確信することはできない。だが、疑念を抱きつつも行動する勇気、つまり、はっきりしない部分に一歩踏み出すことが重要なのだ。

だから、私としてはデカルトと同様、あなたにこう言いたい。自分が何を目指すべきか本当の意味で知ることは難しい。でも、何が正しいかわからなくても自分で選ぶことはできる。それがあなたの強みなのだ。