武士の死罪には名誉ある切腹が科せられた

武士の死罪は庶民とは異なった。極刑にあたる罪を犯した武士は、切腹という措置を命じられる場合が多かった。切腹は、武士として名誉の死に方だとされたからだ。

腹の切り方は一文字や十文字など、いくつものバリエーションがあるが、一般的なのは、小刀を左脇下に突き立て、刃を右方向へグイッと引き回し、続いて心臓を貫き、柄頭つかがしらを持つ手の握りを変え、そのまま一気に臍まで切り下ろす。それでも絶命できなければ、自らの咽喉を刺し貫いて息を止めた。

座って鞘に刀を収める武士
写真=iStock.com/Josiah S
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時代がくだってくると、実際に腹を切らず、扇子や木刀を紙に巻いて小刀に見立て、それに手を伸ばしたとき、介錯人が首を打ち落とすようになった。これを俗に「扇子腹」などと呼んだ。

切腹は室内ではなく、庭先で執行された。伝馬町牢屋敷で切腹を命じられるさいは、牢屋敷の裏門に近いあがり座敷と百姓牢の間の空き地に切腹場が臨時につくられた。

左右と後方の三方に白木綿の幕が張り巡らされ、切腹場には砂が撒かれ、縁なしの畳二畳が置かれ、その上に白木綿でできた蒲団(大風呂敷)を敷いた。

あえて首の皮一枚だけを切り残した理由

検使与力、御徒目付、御小人目付が左右に分かれて座り、切腹する武士は麻の裃を身につけて白木綿の上に着座する。検使与力は、その武士の姓名と年齢を確認し、自分が検使役として出張した旨を相手に告げ、「用意はよろしいか」と問う。「よい」と答えたなら、介添人が三方に紙に包んで短刀に見立てた木刀や扇子を載せて、本人の正面三尺あまりのところに置く。

頃合いを見計らって武士は肩衣の前をはずし、衣服をくつろげ、短刀をとらんと前に左手をつき、右の手を伸ばす。いよいよ三方に右手が達しようとするその刹那、介錯人が刀を振りあげて首を斬るのである。

手慣れた介錯人は、あえて首の皮一枚だけを切り残す。首を斬り落としてしまうと、重みがとれて身体が後ろに倒れ、介錯人自身が血を浴びてしまうことがあるからだ。

皮一枚残せば、首が垂れ下がった重みで身体は前に倒れる。このとき介添人は素早く首を引き立て、同時に刀で残る皮を切断する。その後、介添人は首をつかんで顔の正面を検使役に向けた。遺体は、白木綿に包んで取り片付けられた。