だが、ややもすると成果主義は「自分だけよければ」という個人成果主義に堕してしまう。とくに営業関係など数値化しやすい部署では、成績のよくないメンバーをあからさまに邪魔者扱いする雰囲気ができてしまった。
振り返ってみると、かつての日本型経営においては、メンバーどうしが「同じ釜の飯を食う仲間」として認め合い、良い意味でも悪い意味でも仲間意識が強かった。要領の悪い仲間が1人いると「しょうがないな、おれが教えてやるよ」と乗り出してくる“教え魔”がいたものである。
ところが成果主義の浸透で、古き良き仲間意識は急速に失われつつある。企業によっては完全に駆逐されたといってもいい。ここ数年は、会社側も「それでいいんだ」というメッセージを発してきたからだ。
その結果、組織内のいわゆる「いい人」が居場所をなくしてしまった。業績が格別いいわけではないが、性格が温厚で、結果的には組織を底上げしているような人たちである。彼らが十分な評価を受けず、代わりに、仕事はできるが、クールで個人主義的な人物が勝ち残ってしまうのだ。
さて、本当に問題なのはここからである。クールで個人主義的な、仕事のできる若手がリーダーに昇進したらどうなるか。
ここ4~5年、いくつもの大企業で使えない種族といわれているのは、種族1:「若手有望株」だ。管理職としては使い物にならないのだ。
この手のビジネスマンは、1プレーヤーとして自分の成績を挙げることには長けている。しかし彼らは、個人成果主義のもとで、要領の悪い仲間を邪魔者扱いすることに慣れてしまった。
リーダーとしてチーム全体の成果に責任を持つ立場になると、なおさらその意識を強めるはずだ。成績のよくない部下を教育し底上げするのではなく、無視するとか、場合によっては排除しようとするのである。
そのため組織には亀裂が走り、怨嗟の声が満ちるようになる。当然ながら、こういった上司には「あの人とは仕事をしたくない」という悪評が立つ。