下着メーカーのワコールは、1946年に塚本幸一が創業した会社だ。創業当時、女性向けの下着を売るという仕事は、「男子一生の仕事」とは思われていなかった。なぜ塚本は女性向け下着の仕事をはじめ、それを世界的企業に育てられたのか。塚本の評伝『ブラジャーで天下をとった男』(プレジデント社)を上梓した作家・北康利氏と、塚本の長男で2代目社長を長く務めた塚本能交名誉会長の対談をお届けしよう――。(文中一部敬称略)

※本稿は、雑誌「プレジデント」(2023年9月15日号)の掲載記事を一部抜粋したものです。

50年後は経済で米国と戦えると信じていた

――創業者がどんなに非凡でも個人の能力には限界があります。企業がどこまで成長できるかは、創業者を助ける「補佐役」の顔ぶれで決まるともいわれます。その点、ワコールHDの創業者・塚本幸一は、まだ同社が個人商店だった時期に、三菱重工業に勤務していた営業の川口郁雄(後に副社長)、東京商科大学(現・一橋大学)出身で財務の天才といわれた中村伊一(後に副社長)といった「自分より優れた人材」を苦労の末に獲得していますね。

【北】塚本幸一という人は非常にハンサムな、いい男です。だから女性にもてたのは当然ですが、それとともに「男が惚れる男」でした。その人間としての魅力が、ワコールの成功の礎を築いたと感じます。終戦の翌年の1946年、九死に一生を得てインパール戦線から帰国した塚本は、和江商事という会社を立ち上げました。そこで復員兵の仲間を集めて、模造真珠のネックレスや装身具を売り始めたのが事業の始まりですね。

【塚本】ええ。父は旧制滋賀県立八幡商業学校(八商、現・八幡商業高校)を卒業してすぐ兵隊に取られたので、戦争が終わって帰国しても仕事がなかった。それで自宅の借家を事務所にして、着物の帯締めやらアクセサリーを風呂敷に包んで行商を始めたんです。創業間もない頃に加わって、後に副社長になる川口、中村の2人は八商の同級生でした。父は弁論部で口がうまく、川口は柔道部にいて一番ケンカが強かった(笑)。そして中村はとにかく成績優秀で勉強ができたそうです。

ワコールホールディングス名誉会長の塚本能交氏
ワコールホールディングス名誉会長の塚本能交氏

【北】川口と幸一が再会したのは八幡商業の同窓会でした。そのとき川口は京都の三菱重工経理部で働いていましたが、幸一の誘いに乗り、天下の大企業から、模造真珠やブローチを売っていた零細企業に転職を決めたのがまず驚きです。しかも川口は硬派な柔道部の寡黙な男。その彼が、ハンサムで弁論部という「文弱の徒」である幸一に、自分の人生を預けたのが実に面白い。