女性下着の販売を男性がやるわけにはいかない

【塚本】創業当時は、日本女性で洋装をする人は少なく、ましてやブラジャーなんて身につけたことがない人がほとんどでしたから、初めのうちは商売を広げるのに非常に苦労したようですね。北さんが本に書かれていますが、初のデパート進出である京都の髙島屋では、青星社という会社と「販売合戦」をして勝つことで、ようやく売り場を獲得できたと聞いています。

【北】昭和25年10月の「四条河原の決戦」ですね。そのとき「女性下着の販売を男性がやるわけにはいかない」というので店頭での販売を任せ、見事にライバル会社を打ち破ったのが、内田美代という女性社員です。内田は今でいうキャリアウーマンのはしりで、ワコールを黎明期から成長期にかけて支えた“女傑”の一人として伝説的な存在ですね。

ワコールHD創業者・塚本幸一を支えた両副社長と創業期の“女傑”たち

【塚本】ワコールは和江商事のときから傑出した女性が何人も頑張って、会社をもり立ててくれました。内田はまさに立役者の一人です。

北康利『ブラジャーで天下をとった男』(プレジデント社)
北康利『ブラジャーで天下をとった男』(プレジデント社)

【北】内田は軍人の娘で、私が取材したとき「当時、売り子って水商売みたいなイメージでしたから、絶対無理やって言うたんです!」と60年以上前のことを昨日のことのように話してくれました。そこを幸一は「内田しかおらん」と頼み込んで、彼女をセールスレディに抜擢し、それが見事に当たった。川口の営業力や中村の財務知識もそうですが、幸一の軌跡を見ていると「自分より優れた能力」を持つ人の力を借りることで、事業を成長させていったことがわかります。「俺の言ったことを黙ってやれ」とイエスマンを集めるのではなく、様々な能力を持つ社員に「君たちの力でビジネスを広げてくれ」と頼んだ。その人材ポートフォリオを早いうちから作り上げたことが、経営者として稀有な才能だったと感じます。

【塚本】父よりいろんな面で優れていた人は世の中にたくさんいたでしょうが、父には、そういう人たちを「惚れさせる」魅力があったんでしょうね。

【北】そう思います。また、その人材ポートフォリオは男性だけに偏らず、内田のほか生産管理で大活躍した渡辺あさ野、デザイナーの下田満智子といった“女傑”たちを使いこなしたのも幸一ならではの見事な手腕です。女性活用という点でも今の経営者はもっと幸一の姿勢に学ぶべきだと思います。

(聞き手=本誌編集部 構成=大越裕 撮影=永野一晃)
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