子供が尊いのはわかる…だがペットは「妥協案」になる

人間と犬猫が「可愛さ」で並び始めている――こうした意見に違和感を持つ人も当然いる。

「いやいや、人間の方が犬猫より可愛いに決まってるじゃん」
「子供を実際に持てば犬猫なんかとは比べものにならないとわかる」
「親になれば赤ちゃんの素晴らしさを理解できる」

といった反論はそのとおりだろう。もちろん人間の子供の方が、仔犬や仔猫にはない「無上の尊さ」を持っているのは事実だ。

ベビーベッドで眠る新生児の小さな手をそっと握る親の手元
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この子のためだったらなんでもできる、この子のためなら死んだってかまわない――そうした理屈や合理性では説明不可能な“神聖”とでもいうべき感覚は、とてもではないが犬猫で代替できるものではない。

しかしながら「恋愛して・結婚して・子供を持つ」という倫理的・経済的なハードルが格段に高くなり、なおかつ子供を持つこと自体に多大なリスクやコストが生じる時代には、「愛らしいペット」という存在は、とても魅力的で合理的なある種の「妥協案」に見えてしまうこともまた事実なのだ。

近頃の犬猫は昔よりも「可愛すぎる」

私が幼いころ、故郷の町で見かける犬はどれもくすんだ色をしてずんぐりした体形で毛質も荒く、顔つきも険しそうで少しもフレンドリーではなく、通行人に吠え掛かったりうなり声をあげたりするような、「可愛さ」では今とは比べものにならないくらいの、言葉を選ばずにいえばまさしく「犬畜生」が大勢暮らしていた。皆さんの街でもそうではなかっただろうか?

このような時代の犬たちであれば、人間の赤ちゃんが「可愛さ」で敗北することなどほとんどありえなかっただろうが、しかし現代社会は違う。近頃の犬猫はひと昔前とくらべてあまりにも「可愛すぎ」である。

品種改良の成果といえばそれまでだが、大人しくて愛想がよく、色も明るくて毛並みもつややかな犬ばかりが街を散歩している。外飼いの犬もめっきりいなくなり、室内で飼われることに適した小型犬が多くなっている。知らない人が家に尋ねてきても吠えたり噛みついたりすることはなく、「遊んで~!」と言わんばかりの笑顔で駆け寄ってきて尻尾を振り、すぐになつく。そのような姿を見て人はすぐにメロメロになる。