現代人にとってペットは子供のようだ

しかしながら、そうした「娯楽性」は、人間の子供でなければ絶対に得られないというわけではない。そう、犬や猫といったペットを飼育することの最大のインセンティブもまた「娯楽性」だったからだ。

現代の一般的な家庭で、家畜を追わせたりネズミを狩らせたりする「実用性」のために犬猫を飼育することはまずない。可愛らしいその姿を見て心がほっこりしたり、自分を信頼してくれる存在によって肯定感を得たり、成長にともなう満足感を得るためにこそペットを飼う。それはまるで擬似的な子供のようである。

ネズミを見つめる猫
写真=iStock.com/bloodua
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労働力や後継者といった要素は、さすがに人間でなければ成立できず、犬猫には持ちようもない訴求性だ。しかし「娯楽性」に関してはその限りではない。人間と犬猫でも代替可能性が生じている。そして現代社会では、現実として仔犬や仔猫の方が人間の子供よりもやや優勢に立ってしまっているのだ。

人間の赤ちゃんと犬猫では、単純な外見的「可愛さ」の点ではそれほど大きな差があるわけではない。しかし両者は育てることにともなう「社会・経済的・道徳的リスク」負担の観点では雲泥の差がある。

ペットは子供よりも“コスパがいい”

現代社会は親として子供を「ちゃんと育てること」のハードルがきわめて高く設定されている。子供にちゃんとした生育環境や教育投資を行わなければ親失格であると糾弾されるし、なおかつ「ちゃんと」を達成するための経済的負担も年々増大している。「一回3000万円のガチャを引く」とはよくいったものだ。そのハードルの高まりは以前にもプレジデントオンラインで論じた

そう考えたときに、子供を持つことの純粋な「娯楽性」の高さだけでは、子供を持つことにともなう総合的な「社会経済的リスク」の高さを十分に相殺することができず、犬猫を飼うことの方が、社会的に低リスクかつ経済的に低コストで「娯楽性」だけを抽出して楽しめる“コスパのよい営為”と見なされるようになってきている。

実際のところ、「ちゃんと」親をやるというハードルを十分に越えられる社会経済的リソースを持つカップルが、しかし「子供を持つのって大変そうだし」といって子供を持たず、代わりに犬猫を飼育することでその「親としてのハッピーな気持ち(娯楽性)」を補完してしまう事例は私の周りでも見聞きしている。

なにかとカネがかかる都会であっても、潜在的には余裕をもって2人3人と育てられそうな資本を持つカップルが、子供をひとり産んでそれきりで、あとは犬や猫を飼って、そうして自分たちが産んだ子供とペットショップで購入して家族に迎え入れた犬猫をまるで実の兄弟のように扱っているのである。