フィクションとノンフィクションはまさに正反対

――「世之介シリーズ」は、今回の完結編で締めくくりですか。

実は、1作目を書いたときには続編を書く気はなかったんです。ところが、事情があって続編を書くことになったら、主人公の人生を完結させてあげたいなという気持ちになってきて、ちょうど毎日新聞の連載が決まっていたので、1作目も毎日だったから最後も毎日ならいいかなという形ですかね。

ひょろっとした細い木が、読者に育てられて、映画化もされて、太い太い木に育ったという感じがあって、自分のライフワークとして完結させたいなという気持ちもありました。とにかく僕はこのシリーズの登場人物たちが大好きで、1年間書いていて、本当に楽しかったですね。

――小説を書く楽しさとは何でしょうか。

フィクションとノンフィクションでは楽しさに違いがあると思うんですが、フィクションというのは嘘なわけですよ。毎日毎日、ずーっと嘘ばかり書いていると、あるとき、ポンと真実が出てくる瞬間があるんです。嘘の中に、一瞬、本当が出てくる。

ノンフィクションとかニュースの世界ってまったく逆で、たとえばテレビのドキュメンタリー番組というものは、基本的に真実だけをずっと映しているわけですよね。ところが、真実はこうだ、真実はこうだと映し続けている中に、「あっ、この人いま演技したな」っていう瞬間があるんです。嘘がチラッと見える瞬間がある。この「嘘の瞬間」を見つけたときが面白い。そういう意味で、フィクションとノンフィクションの面白さってまったく違う。正反対だと思うんです。

嘘だらけの中に、真実が出てくる瞬間が面白い

言ってみれば、僕は「嘘が当然」の世界でずっと生きているので、ネットのコメント欄での嘘のつき合いを目にしても、自分もまさにこういう嘘のつき合いの世界で生きているんだなーと思うだけなんです。むしろ、嘘のつき合いの合間にチラッと真実が見える瞬間があると、それを面白いとすら思ってしまう。だからこそ、さっきの議論に戻れば、ネット社会に対して憤りや嫌悪を感じることが少ないんでしょうね。

ノンフィクションやドキュメンタリーは間違い探しの世界、フィクションは正解探しの世界ということかもしれません。

――「世之介シリーズ」を書いていて、ポンと出てきた真実はありますか。

本の帯にもなっている、「この世で一番大切なのはリラックスしていることですよ」という世之介の言葉ですかね。書いていて、僕自身、刺さりましたから。これは嘘の物語で、世之介なんて居やしないわけだし、全部嘘なんですけど、あれだけのページ数を書いていくと、「これ本当かもしれない、真理かもしれない」というものが出てくる。

「横道世之介シリーズ」
撮影=西田香織
吉田さんが「横道世之介シリーズ」を連載開始したのは2008年。3作目となる『永遠と横道世之介』で完結した

それが出てくると、しみじみ書いてよかったと思いますし、これこそ小説というものの面白さなんだと思いますね。

(構成=山田清機)
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